も、おのずから自身の生活も現実への無評価ということからアナーキスティックな色調を帯びざるを得なかったと思われる。
 最後に近い年に到って、小熊さんは自身の言葉の才への興じかたも落ちついて来たのではなかったろうか。
 最後に会ったのは、壺井栄さんの『暦』の出版のおよろこびの集りの時であった。短い間であったが心持よく世間話をした。そのときの小熊さんは、特徴ある髪も顔立ちも昔のままながら、相手と自分との間の空気から自分の動きを感じとろうとしてゆくような傾きがなくて、自分の見たこと、感じたこと、したことを、簡明にそれとして話していた。それは私に小熊さんとしての珍しさと心持よさとを与えたのであった。
 芸術家の生涯が、これからこそと、思うような時急に閉じられることが余り屡々であると思う。何故与えられている生命の時間がもう短くなったとき、芸術家たちは其とは知らず一段と新しい境地の敷居に立った姿を示すのであろうか。
[#地付き]〔一九四一年一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「法政大学新聞」
   1941(昭和16)年1月20日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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