愛は神秘な修道場
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)怠《たる》みなく

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)A+A×B:B+B×A[#「A+A×B:B+B×A」は横書き]
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 恋愛は、実に熱烈で霊感的な畏ろしいものです。
 人間の棲む到る処に恋愛の事件があり、個人の伝記には必ずその人の恋愛問題が含まれてはいますが、人類全般、個人の全生活を通観すると、それらは、強いが烈しいが、過程的な一つの現象と思われます。
 恋愛経験の最中にある時、或は何かの理由で恋愛的雰囲気に対して非常に敏感になっているとき、私共は自分にもひとにも第一、気になるのは恋愛のことばかりだと云う風に思います。けれども、じっと見るとどんな熱情的な恋愛をしている人でも、人間として他方面の必然な生活条件は満しています。生活の大河は、その火花のような恋、焔のような愛を包括して怠《たる》みなく静かに流れて行く。確かに重大な、人間の霊肉を根本から震盪《しんとう》するものではあっても、人間の裡にある生活力は多くの場合その恋愛のために燃えつきるようなことはなく、却って酵母としてそれを暖め反芻し、個人の生活全般を豊富にする養液にしてしまいます。
 また恋愛は、独特な創造力を持っているとも思われます。恋愛は決して百年同一の状態に止ることをしません。必ず或る消長があります。草木が宇宙の季節を感じるように、一日に暁と白昼と優しい黄昏《たそがれ》の愁があるように、推移しずにはいません。いつか或るところに人間をつき出します。それが破綻であるか、或いは互いに一層深まり落付き信じ合った愛の団欒《だんらん》か、互いの性格と運とによりましょが、いずれにせよ、行きつくところまで行きついてそこに新たな境地を開かせる本質が恋愛につきものなのです。

 自然は、人間の恋愛を唯だ男性と女性との+《プラス》だけでは終らせず、精神に於て、男をA、女をBとすれば A+A×B:B+B×A[#「A+A×B:B+B×A」は横書き]という風な関係にすると思われます。そして、数学と全然違うところは、これらの関係がまるで逆になって、+《プラス》のところが−《マイナス》になり、×《タイム》が÷《デバイデッド》となっても、一度真面目に恋愛した人間の心では、決して元の杢阿彌《もくあみ》の単一なAなら
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