うところにある。
 云いかえると、A子ならA子という一人の女が、忘られない程強烈な印象をうけた事件、見聞、経験なりを、一旦ひろい社会機構の内へつきはなし、抑々《そもそも》そのような事件の発生した客観的な事情、そこに動いている各人物の心理動機などを解剖し、綜合して見直し、第三者にのみこめるように再びくみたてる力の不足が、困難の原因なのだ。
 これまで日本文学における和歌と小説と、どっちの領域に多くの婦人作家が活動していたか、それを比較するとその相異がわかる。
 和歌の小さい形式、一首の和歌の中に社会の一小情景を再現するか、さもなければ、主観的な感慨を再現し得る伝統的形式は、社会現象を引くるめて大きく構成的に散文として把握し得ない婦人にでも、適当な芸術形式として利用されて来た。
 ちょっと歌もよむという小中流の婦人は多い。短いものなら小説も書くという婦人は尠い。――
 イギリス、フランスは早くから婦人作家の出た国だ。イギリスは冬の長い陰気な室内生活により一般に読書好きなのと、キリスト教的な婦人の啓蒙教育のおかげで、小説の世界で中流的だが、古典でジョージ・エリオットにしろ、ジェーン・オーステンにしろ、ブロンテ姉妹、ブラウニング夫人、ギャスケル夫人等なかなかしっかりした婦人作家を出した。
 フランスはサロンと芸術の世界に婦人の解放された国として知られている。十八世紀のラファイエット夫人。ドイツのロマンチシズムをフランスに紹介しナポレオンをひどくきらったスタエル夫人。情熱的で作品の上にはっきりと婦人の社会的権利を主張したジョルジュ・サンド。現代でも詩人のノアイユ夫人。小説家のコレット。そのほか活動している婦人文学者は少くない。
 だが、イギリス、フランスでも、数と質において総体的に見れば、婦人作家は男の作家に劣っている。
 日本においては勿論そうだ。
 同じ、ブルジョア文化発達過程の中でも、婦人の文化は一般的にいって男のもつ水準より低かったこと、日常生活の中では封建的な遺物がより多くおっかぶさって解放をおくらしていたことの、これは実に雄弁な証拠だ。
 何故なら、どの国の、どの階級の文学でも、その発展はきっちりその国のその階級の経済的政治的地位、それに伴う文化の発達の程度と結びついている。
 中世紀の文学は僧侶に独占されていた。中世期の封建的なヨーロッパに支配権をもっていたのは王と貴族と僧侶だった。貴族は武力を統帥し、僧侶は貴族階級のイデオローグとして最高の文化活動を担任していた。だからラテン語で書かれたその頃の文学は、どんな馬子によっても書かれなかった。ただ僧侶のものだった。当時は文盲の王があり貴族があった。
 日本の現在までの婦人作家が、どういう階級から出て来ているかということを考えても、事実は一目瞭然だ。
 日本の既成の婦人作家はプロレタリア作家といわれている人々をこめて、没落した小市民層かそれより以上の経済的基礎をもった層から出ている。
 世界のプロレタリア解放運動は、その文化戦線をもふくめて、最近益々積極的ではあるが、残念ながら資本主義社会で大衆の文化教育機関とジャーナリズムとをプロレタリアの手の下におくところまでは行っていない。
 それは、この間うちつづけて読売新聞紙に載っていた「処女航路を行く女流作家」という紹介を見てもわかる。
「処女航路を行く女流作家」というのはよんで字の通り商業的なジャーナリズムが自身の立場から新進の婦人作家を並べて、短い自己紹介の文章と写真とを一覧に供したものだ。十人ばかりの婦人作家の名があった。中には、女人芸術その他にもう何回か作品を発表していた人もあったし、もっとひどいのは既に過去数年間、文筆家として生活して来たような人も加えてあった。だが、問題は、そこにはない。新顔として紹介された婦人作家たちの中に、ハッキリ、プロレタリア文学を把握しようとしているらしい感想を書いていたのは二三人しかなかったこと、及、その十人ばかりの婦人作家たちは、みんな小中流以上の家庭の人で、文化学院などを出た人が相当あったことだ。
 世界の経済恐慌によって、どこでも階級闘争は進展し、資本主義とその文化のもがきは、其等の新進婦人作家たちの短い抽象的な文章の中にさえ反映している。それでも商業ジャーナリズムは、遠かれ近かれ、自身の属す社会圏から婦人作家を見つけ出そうと焦っている。
 紡績工場に働いている若い婦人労働者の中に、若しかしたら、面白いプロレタリア詩をつくる婦人はいないだろうか、とは考慮されていない。そこまで大衆の中に沈まないでも、例えば『ナップ』その他にこの頃一田アキという名で望みのある詩を書く婦人が現れている。しかしそういう新しい婦人詩人のところまでは新進を求める手をのばさない。

 それにしても同じ資本主義社会の文化
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