ロバート・オウエンがこの点に注目し、フリドリヒ・エンゲルスはフロレンスがスクータリーに着いた一八五四年の十年前に、イギリス労働階級の状態について詳細、正確、なまなましい記録を著わしているのである。
しかもこの奇妙な本の中で、フロレンス・ナイチンゲールは時々宗教の議論も労働者の問題も忘れて、当時の上流婦人の地位や家庭生活の虚偽、結婚の欺瞞と因習の無意味さとを痛罵している。彼女のはげしい筆端が深い憤りに震えながら、裕福な家庭の未婚婦人がおかれているおそるべき運命を描き出すとき、読者はその百ページのうちに、突然一種名状しがたい強烈な婦人としての実感がみなぎりわたっていることにおどろかされるのである。そこに深刻に女としてのナイチンゲールの生の呼吸がきこえるのである。
現実的なものと神秘的なものとの間で揺れ動いたこの偉大な女性の混乱も、老年にいたってはバラ色の霞の中にとけこんで、八十七歳で「勲功章」を授けられた時の彼女は「古い神話の復活」にも心を労されず終日にこにこした柔和な一老婦人であった。鋼鉄が遂に柔げられて、その九十年の生涯を終ったのは一九一〇年であった。[#地付き]〔一九四〇年四月。一九四六年六月補〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「婦人朝日」
1940(昭和15)年4月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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