一人として、経験論者であった」と有名なイギリスの伝記者リットン・ストレーチーは率直にいっている。パストゥールとリスターによって病原菌が発見され、世界人類の病と死とは飛躍的に克服されるようになったが、彼女は「病原菌狂信」を嘲笑し「伝染」というものはないとした。しかし、新鮮な空気の利きめは彼女が自分の目で見、その手で開けた窓々からスクータリーへ導き入れたのである。新鮮な空気が必要なのに、窓を密閉していたとき、それを開放した彼女の方法は貴重であった。けれども、気温が全くちがい、暑さの全く違うインドで、病室を開け放したらどうだろう。全インドの医者が、インドで窓を開けたら病人の命は忽ち危くされると大抗議をしたのは当然である。彼女は組織者、企画者、行為する天才であった。が、近代科学者ではなかった。経験にたよってその範囲での成功を固執する彼女の主観的な態度そのものが、科学的でなかった。いってみれば、貴族らしい強情さでもある。
このようにしてその天稟の中に極端な行動の力と確信の力とをもったナイチンゲールが、その気質で少女時代からの宗教心と上流婦人らしい社会の見方の一面とをないまぜ三巻にわたる労働者のための宗教解説の本を書いたというのも、興味のあることだ。さきにのべたような当時の社会の巨大な息づきは、ヴィクトーリア時代の淑女の活動的な精力を、社会改善へ向けさせたのであったが、その社会の「悪の起源」を究明する段になると、ナイチンゲールは、スープをのむには匙がいると考えて、それを手に入れたと同様の解釈をしている。彼女によれば、神は全知全能であるから、唯一つであるその神と同じものをいくつも創れない、ために神は常に完全でないものをこの世に造らなければならないというのが、論旨であった。この本をナイチンゲールから寄贈されたジョン・ステュアート・ミルが、この本を手にした労働者と同様に、彼女の理屈はよく納得されないといった時、四十歳に達していたフロレンスはさも意外な面持であった。
社会における「悪の起源」は神が完全であるからではない。社会全般の生活の安定のために働くべき生産の手段――工場や機械などが、それを所有している少数の人々の利益のためだけに運転されて、労働者は、一生ただ日々を生きてゆくための賃銀しか支払われていない、という近代資本主義の生産、経済の方法こそ、社会悪の起源である。イギリスでも
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