リーの陸軍病院という名は、有識の人々の間に「地獄」の別名となった。
 シドニー・ハーバートという時の大臣の一人が、この時思い出したのはフロレンス・ナイチンゲールの存在であった。彼はフロレンスこそ、この場合に何事かをなし得る婦人であるとして、招きの手紙を送った。折から、ナイチンゲールの心にひらめいていた計画も、符節を合してまさにそのことであった。
 フロレンスが二人の親友と三十八人の看護婦をひきいて一週間のうちにロンドンを立って、トルコのスクータリーに到着したのは一八五四年の十一月であった。
 このクリミヤ戦争にはトルストイが一士官としてロシヤ軍に加わっており、セバストーポリについた第一歩に負傷者の哀れな有様に激しく心を動かされたのが、この同じ年の十二月であったことも思い出される。
 ロンドンを立つ時、当局の役人はナイチンゲールの問いに答えて、スクータリーには何一つ欠けたものはないと明言した。よしんば衛生材料が多少不足していても四日間でコンスタンチノープルから支給されるのだから、と。その言葉にもかかわらずフロレンスは女の勘で、いろいろな材料と金とをどっさりたずさえて、さて、到着したスクータリーの陸軍病院は、彼女の一行をどういう有様で迎えただろうか。巨大なバラック建ての廊下や大きい病室には、ありとあらゆる欠乏、怠慢、混乱、悲惨が充ち満ちていた。建物の真下を走っている大下水から汚物の悪臭がのぼって来る。その床はぼろぼろで洗えもしない。壁には塵埃が厚くこびりついて寝台は四マイルもぎっしりつめられていた。ところ嫌わず南京虫の大群が横行している。フロレンスがみたどこの貧民窟よりも不潔である。日常品の欠乏ははなはだしく、ビールの空壜にローソクがたっていた。たらい、タオル、シャボン、箒、盆、皿、ナイフ、フォーク、スプーンなどという必需品さえなかった。医療材料、薬品も揃っていない。働いている人々といえば無能な医者と官僚主義に頭も心も痲痺している役人と、疲労困憊して自身半病人である少数の人々ばかりであった。
 ナイチンゲールが女としての勘でもたらした品物と金とは、全く無限の役にたった。スクータリーの名状できない混乱をとおして、秩序と常識と先見と判断との光りが、日に夜にフロレンスが執務しているバラック病院の大廊下のそばの小さい部屋から放射されはじめた。変化は確実であった。病兵はタオルとシ
前へ 次へ
全11ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング