父、集団農場出る気かもしんね。
しばらく歩いて、ペーチャがおもおもしくいった。
――ふーん。そんなこといったか?
――俺にゃ、何にもいわね。そう口きかねんだ。
――アグーシャ、どうする、そうなったら――第一、ペーチャお前どうする?
ペーチャは、だまって春の夜道んなかを真直ぐに細い少年の体つきで歩いて行った。
五
托児所にするブガーノフの小舎の羽目を二度目に塗りに行ったら、弱虫のリョーリャが、
――俺、やんだ! もう塗らね。
鉢のひらいた頭をふった。
――あしてよう?
――ルバーシカよごしたって、お母がしばくから、俺やんだ。
ペーチャが、
――だら、ルバーシカ脱げ!
と先頭にたって、ぐるぐる自分の背中から海老茶色のルバーシカをむいた。順ぐり、リョーリャもとうとうぬいで塗った。
ペンキ塗りは明日ですむ。ペーチャにはまだ仕事がある。子供の組をわけて、※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66、262−19]や馬やひまわりや猫や、そういう絵を、十九枚書かなくちゃならない。托児所にそういう絵がいるんだ。
ペーチャは脱いだルバーシカを腕へかけたまんま近路して、裏の柵から台所口を入っていった。
はじめ、泥棒が入ったのかと思った。テーブルの下のところに、何か白い引裂いた布が散らばって、隅の大箱のふたはあけっぱなしだ。それからも布が引きずり出してある。
ソロソロ近よったら、箱のかげの薄暗いところから、
――誰だ?
それはアグーシャの声だが、まるで気がぬけて、乾きあがっている。
――どうした!
アグーシャは、箱のかげから膝でずり出て来た。彼女は、床へ坐ったまんま溜息をついて、
――父ちゃんいねえか?
ときいた。それから、また溜息をついて、涙をこぼしはじめた。ペーチャはアグーシャのわきへ膝をついた。
――どうしたってことよ! あ? 父ちゃんか、親父がやったんか?
――殺されはぐった。
アグーシャは、手の甲で涙を拭いて、唇にはりついてる髪の毛をかきのけた。だが、いくら拭いても、涙はアグーシャの頬っぺたを流れる。
アグーシャは永い間ぼんやり床にへたっていてから、そろそろ手を動かして、散らばってる布をあつめはじめた。
――何して、あげ怒るか俺にゃわかんねえ。俺托児所さ枕と敷布とつかい手ねえお前のちっちゃかったときの籠もってこうとしただけでねえか。
アグーシャのあごのところに紫色のあざができている。ペーチャは、苦々しげに、
――親父あ、決議んとき手あげなかったちゅうこった。
といった。
――なあペーチャ、お前ピオニェールだ。正直、俺さいってくれな。
しばらくしてアグーシャが、持ち前のしずかな思いこんだ調子でいった。
――俺間違ってるだべえか。俺にゃどうしてもソヴェト権力のええとこさ見える。だまされていたとは思えねえ。
ペーチャは我知らずアグーシャの腕をとって、やさしく、
――立ちな。アグーシャ。
と励ました。
――お前の方が本当だよ。親父は年とって、新しい社会が、俺らんところで出来てくのが、わかんねんだ。
無教育なアグーシャをペーチャは親父よりずっと親しく感じた。このごろ、親父はアグーシャとよくひどい喧嘩をやる。それもいつだって、ペーチャはいないときやるんだ。
――こねだ、小遣かせぎに荷馬車借り出してひいたら、事務所さ三割とられたって大ぼやきした、あんときもお前なぐったか?
ゆでた馬鈴薯をもって来てテーブルで食いながらペーチャがきいた。
――ああ。だけんど、あのときゃたんだ三つですんだ。
グレゴリーが帰って来た時、ペーチャはペチカの下へついている床几で、毛布にくるまって眠っていた。
――眠ったふりしていた。
大体托児所には人気があった。
――どげえなもんが出来あがるっぺ……イワノヴォ・ヴォズネセンスクには風呂場までついて、栓ねじると湯の出る托児所があるそうだで。
――南京虫にくわれねえだけでもハアちっこい者にゃ楽だよ。
後家マルーシャは、笑いながらある日アグーシャにいった。
――アグーシャ、ききな! 昨日ピムキンの気違い、とてもいい羽根枕、托児所のためにって持って来たぞ。――どっからかっぱらって来たんか……見てな、きっと今にピムキンがあの枕かえせって来べえから……。
耕地では、見渡す数露里の広さにあおあおと麦が伸びて、初夏の風がそこへ吹くとあたまを揃えまぶしく波うった。
トラクターで耕され、播種機でまかれた麦の濃い育ち工合は馬鋤と手蒔でやった耕地と、一目で違いがわかる。
村はずれの川へビリンスキーの者が水浴びに行く。土手のむこう側が原で、雑草まじりに薄紫の野菊や狐の尻尾が穂を出している。その先にガラスキー村の耕地がある。裸の胸を平手でたたきなが
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