五十ヤール。真新の防寒靴《ガローシ》八足も見つけられた噂があった。
 イグナート・イグナートウッィチのところへモスクワからプラウダと農民新聞が来る。農民新聞に、ちゃんとそのことが出ていた。ビリンスキー村の連中は、
 ――畜生! 悪魔だ。何年そうして、甘い汁すってけつかった。
 ぶう! と地面へつばをはいた。ニキフォーロフは銀のサモワールを三つ納屋の乾草の中へかくしてもっていたばかりではない。実は馬を六頭、牛を七頭もっていたことが露顕したのである。
 奴は、隣村の富豪退治でやっつけられたドミトリー夫婦みたいな頓馬じゃない。自分の家のまわりをパカパカ歩かして見せびらかしなんぞしとかなかった。上ブローホフ村の貧農へ、そっとそれをみんなかしつけて、村ソヴェトの連中にコニャークをのませて、やっていたのである。
 ――こわいじゃないかねえ、マルーシャ。あいつんところじゃ、その三百五十ヤールの絹の布の、九十ヤール腐っていたそうだよ。
 桃色の布《プラトーク》をかぶった大柄なアグーシャが村の共同井戸のところで後家のマルーシャにいった。マルーシャは三十五で、去年亭主に死なれ、三人の小さい子持ちである。彼女ははだしで、担い棒の両端へバケツをつけながら、勢いよく、
 ――こわいことなんか、あるもんで! 腐れ、腐れ! 二百五十ヤールの絹が何だ。おら絹三百ヤールより、耕地で働く手がもう四、五本欲しいわ。
 そして、白い、いい歯をキラキラさせて笑いながら、
 ――おいらの村のどっかでも、大方二ヤール位の絹は腐ってるべえ。
といった。
 アグーシャは、溜息をついて、ゆっくり大きい井戸の汲上げ車をまわした。そして黙っていた。アグーシャの亭主は、村が集団農場になるときまったとき、村ソヴェトの大会からかえっても口をきかなかった。
 アグーシャはサモワールをわかし、がんじょうな身体をした、グレゴリーの前へパンを出した。そして、一杯の熱い茶を受皿にあけて、吹き吹きだまって飲み終ってからいった。
 ――何、ぶっきりしてるんね。……お前さん不服かね。村あ集団農場んなんの……。
 グレゴリーは、錐のような視線で女房を見つめ、
 ――どこにおらの利益がある?
と短く髯の中からいった。
 ――だまってろ。
 アグーシャはしばらくして、
 ――でも、おらとこのペーチャはピオニェールでねえかよ。
といった。
 ――それ
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