有者である旧貴族は全く圧倒されるようになった。フランスの社会は、「新たに世界の王者となった」金銭をめぐって煮え立ち、金持は無趣味で仰々しい厚顔の放埒に溺れ、金を持たぬものは、持たぬ金を更に失うことを恐れて、偽善的に「中庸」を守る俗人生活にくくりつけられた。オノレ・ド・バルザックはパリの屋根裏から昂然と太い頸をもたげ、南方フランス人の快活さ、自信、加うるにブルジョア勃興期の特質をまぎれもなく自身の血の中に具えて、「名声」と「富」とを勝利の花飾りとして情熱的に夢見つつ、文学の仕事にとり組みはじめたのである。
 二十歳のバルザックはレディギュール通りの屋根裏で、ストーブもたけず、父親の古外套で慄える体をくるみながら、ひどい勢で先ず幾つかの喜歌劇を書いた。喜劇「二人の哲学者」というのも書いた。けれども、その時分は、ただ筆蹟がきれいだということ位しか認められていなかった彼の喜劇はどうも思うようではなく、つづけて二つ小説を考えたが、それは題だけは出来てものにならなかった。
「ああロオル、ロオル!」と彼はその頃書いた妹への手紙で訴えている。「僕には二つだけ望があるのだが、その望みの大きいことはどうだ
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