年から三四年にかけて、日本ではバルザックの作品が急激に流布した。全集刊行が着手され、ゲーテ協会に対するバルザック協会が組織され、少し誇張した形容を許されるならば、文学について語るほどの者で一度もバルザックの名を口にしない者はないという現象を呈したのである。
大体、過去においてバルザックの作品は寧ろ等閑にふせられすぎていた傾きがあった。日本の文学愛好家の大多数は、モウパッサンの作品より尠くしかバルザックを読んでいないという実状にあったと思う。それ故今日、このトゥール生れの、僅か二十年足らずの間に「人間喜劇」九十六篇のほか小論文五百十四、戯曲六篇という尨大な制作を行い、しかも生涯借金に悩まされどおしで死んだ横溢的な世界的作家に母国語で親しめるということは、我々にとって遅すぎたとしても決して早すぎて到来した機会と言えないのである。
しかし、昨今作家及び文学愛好者の間に生じたバルザック熱ともいうべきものを、その社会的要因にまでふれて観察した場合、はたして、それが文学の正常な発展のために積極的な意味だけをもつものであると言い切れるであろうか? 答えは、おのずから複雑であろうと思われるのである
前へ
次へ
全67ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング