骨頂をその芸術作品の具体性において捉えるためには、外でもないその二重に押し出されている何を如何に[#「何を如何に」に傍点]の間に在る矛盾の本質をこそ究明しなければならないという場合がある。シルレルが見落しているこの小さい、而も重大なる点が、バルザックの正しい理解のためには特に慎重にとりあげられなければなるまいと考える。何故ならば、バルザックは全作品の随処に自身の熱血的矛盾を吐露していて、主人公を簡単にはっきり捉え、何を如何に[#「何を如何に」に傍点]したかという一筋の道行を挾雑物なしに描く場合は実に稀であった。描写の間に、或るところでは描写を押しつぶして作者の説明や演説が出て来て、それは主人公が何を如何に[#「何を如何に」に傍点]したかということに絡んで引き出された全く作者バルザックの主観であり、独断であり、或は偏見や追随である場合が多かった。故に、バルザックの場合、文体の独特な混乱の性質、そこに現れている矛盾の社会性がつきつめられてこそ彼から汲取る教訓は無尽蔵なのであり、而もそれをなし得るのは、彼の同時代人テエヌではなくして、さらに発展した今日の唯物論の立場に立つもの、社会現象の領域にまで及ぼして「社会的環境が人間を創り、同時に人間が社会的環境をつくる」という相関関係を解きあかすことの出来る弁証法的唯物論の立場に立つ者、バルザックによって見てとられた未来の真の担い手に初めて与えられた歴史的な歓ばしき可能性であり、任務であると思われるのである。
斯くてバルザックは一八五〇年、ロシアのウクライナで二十年来交誼のあったハンスカ夫人と結婚し、パリに帰ったが、既にウクライナで病んでいた心臓病が重って、八月十八日、五十一歳の多岐にして矛盾に満ち、その矛盾において十九世紀初頭のフランス社会を反映したところの大生涯を終った。
[#地付き]〔一九三五年二月〕
底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
1952(昭和27)年10月発行
初出:「文学古典の再認識」芸術遺産研究会編、現代文化社
1935(昭和10)年2月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全17ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング