われ大衆の暮しをよくする役に立つというようなブルジョア・地主政府の云い草は嘘である。中国を植民地として、中国の労働者を一層やすい賃銀で搾り、ブルジョア・地主が大衆を抑圧する力を強めようとしているばかりである。そういう事実が労働者たちに分った。人間なみの生活を求めて行った「満州国」でも労働者が得たものは「飢餓」と失業とである。
困り切った北九州の労働者の大部分は故郷へ又戻って来た。出立の時よりもっともっと無一文になり、殆ど乞食姿で戻った。「満州国」から帰る旅費はどこからも補助されなかったのである。
この話をきいた時、私の心にきつく浮んだ一つの活々した絵がある。それはソヴェト同盟の炭坑労働者の生活の有様である。
一九二八年の初秋(五ヵ年計画の始る前年であった)私はドン・バス炭坑区の中心ゴルロフカを見学した。五ヵ年計画によってウラル地方にも大きい炭坑区が出来たが、それまではドン・バス炭坑はソヴェト同盟最大の石炭宝庫であった。ソヴェト同盟では、諸君も知っているとおり、世界の労働者農民の見学団を心から歓迎している。石炭の町ゴルロフカにも、ドイツ、アメリカ、イギリスなどの工場や農村の職場大衆から選ばれて見学に来たもののために、また作家や技術家が見学や研究に来た時のために、特別な「訪問者の家」というのがある。
このゴルロフカ炭坑の革命までの主人はフランスのブルジョアであった。が、今はソヴェト同盟の革命的なプロレタリアが主人で、社会主義の社会を建設するために日夜努力をしている。炭坑事務所の壁には赤い布に「工業化! 電化! プロレタリアの勝利はこれだ!」と白字で書いたプラカートが貼られ、一週間ずつの採炭高と生産計画とを対照した興味ある統計図がかかげられている。経営主任の責任ある位置にいるひとはやっと三十そこそこで、その辺にいる誰彼と一向違わない鳶色のルバーシカを着、元気に仕事をやっている。鞄を小脇に抱えた連中が盛に出入りする、青い技師の制帽をかぶったのも来る。主任は日本の女がモスクワから遠い炭坑を見学に来たのを珍しがって忙しいにもかかわらず、
「あなたはどうしてドン・バスを見学する気になったんですか?」
と私に向って訊いた。私はありのまま答えた。
「私は石炭について専門的なことはちっとも知らないのです。けれども、私はソヴェト同盟へ来てからいろいろな工場を見学して、社会主義の国
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