信仰に、幸福を与えるような虚言を説教したのである。p.277
◎彼は宗教の問題を一種の神性の狂信を与えている国家の問題に移す。そして、彼の生涯の最も真摯な告白の中で「君は宗教を信じているか」という問に対し 極めて実直な奴隷のように「僕はロシアを信じている」と答えるのである。
なぜなら ロシア、それは彼の避難所であり、彼の救済だからである。ここに来て彼の言葉はもはや分裂ではなくて 信条《ドグマ》になる。神は彼に対して沈黙してしまった。だから 彼は自己と良心そのものとの仲介者として一人のキリスト、新しい人間の新しい告示者、ロシアのキリストを創造したのである。p.278
○彼のこの救世主の文書は――暗黒の印象を与える。p.279
笞のようにビザンティンの十字架を手にした極悪な狂信的な中世紀の僧侶、恰もそんな風に彼は政治家、宗教的狂信者としてわれわれに向って来るのである。p.279
○口角泡をとばし、手をふるわせて彼はわれわれの世界に悪魔祓いをするのである。p.279
○ひとりロシアだけが正しく――反ヨーロッパ的、アジア的 蒙古的 ダッタン的であればあるほど、それだけ正しいのである。保守的 退嬰的 非進歩的 非理知的 偏狭固陋であればある程、それだけ正しいのである。大言壮語家! p.281
○理性よ、下れ! ロシアは矛盾なく 公言される信条《ドグマ》である。「人はロシアを理性をもってではなく、信仰をもって理解しなければならぬ」p.281
○狂妄な帝国主義は驕傲を僧衣に包んで「神の御意なり」と叫ぶのである。
○先ずもってわれわれヨーロッパの世界は、この新しい神の国、ロシアという世界国家の中で崩壊しなければならず、然るのち初めて救われるのである。文字通り彼は云っている「あらゆる人間は先ずロシア人とならねばならぬ」と。しかるのちはじめて新しい世界は始るのだ。ロシアは神を荷える国家であり、最初先ずそれは剣をもって世界を征服しなければならない。しかるのちにそれは初めて人類の「最後の言葉」を告げるであろう。この最後の言葉とは即ちドストイェフスキーにとっては あの和解を意味するのである p.282
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ここにあらわれているドストイェフスキーの矛盾と、不思議な予言の美しさ。最後の言葉=彼にとっての和解は、とりもなおさず 彼自身制御し得なかった彼の芸術家の歴史性の解明力に存する というのは、何と劇的な、心を打つ眺めであろう。
ツワイクは、一九一九年にこの本を出した。しかし彼はこの部分では、分析のメスを浅くすべらせている。非力を、おのずから示して、このドストイェフスキーの狂信と洞察――むしろ直感をふわけしていない。そのところに彼の文芸史家としてのフェータルなものがひそんでいる。この。ドストイェフスキーのロシア主義の分析こそ、ツワイクを活かすか死なしたかのポイントにふれている。
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○しかしこの場合ロシアとはいかなるものであるか。
ここでも リアリズムと空想力、火と水とのさわがしい混淆が行われているのである。p.285
各国文学精神の伝統的傾向について
○各国民は、自身の文学精神の傾向に特有のテンデンシイをもっているという事実。
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フランス バルザックとフランス小説の全主人公は、社会の抵抗より強いか弱いかであり、彼等は生活を克服するか、或はその車輪の下じきとなるかである。p.174
ドイツ 小説の主人公は(発展小説)マイスターを典型として統一の方向をとり、力は集合され、人間はドイツ的理想にまで成長し、堪能となり混沌としていた要素は達成された静けさの中に結晶しつつ澄んで来て、修業時代からマイスターが出て来るのである。p.175
ロシア |彼らの運命は《(ドストイェフスキー)》、自己にとって外的な意味でなく 内的な意味においてのみ存在するp.171
彼らは現実に向っては何物も求めないで、初めからそれを超越して、無限のものへとゆくのである。
価値のあらゆる証書、すなわち称号、権力、金というような目に見える財は、バルザックの場合のように目的としても またドイツ人の場合のように手段としても、ともに彼らにとっては価値がないのである、p.176
イギリス 英国流の小説の感傷的な因習が、迫力への意志を征服してしまうのである p.95
英国では元来小説というものは一般に行われている道徳上の原則の図解にすぎないものでなくてはならぬ。p.95
英国人らしい道徳観の肥満性
○イギリス文学における節度 道徳のキソまで手をつけようとしない。
○ユーモアの各種の起源
○しかしこの節度は大戦後やぶられた。やぶられつつやぶられない というような有様
ショウ ロレンス ジョイス
○英国人|の《的》誇恃の種類
スペインに行ってもイギリス人たる誇の自覚から自由になれず アメリカ人のように自在に動けず、文学も新しい輸血がにぶい。
日本人が日本人としての自意識によって 神経質で敏感で排他的になることとの対比。
アメリカ そのかたまらない若々しさ
血気
生活力
理智の新しさ
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底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
初出:同上
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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