前自分で自分に満足してやしないんだ」
「…………」
 そりゃ本当だ。
 カンナの花のわきで、オーリャがぴたりと立ちどまった。
「お前、お書き。……そうすりゃすっかりよくなるよ。……書くだろう?」
 太陽はキラキラ照りつけて、工場の三本の煙突も、カンナの大きい花も、オーリャのすらりとした素脚も、青空といっしょに燃えるようだ。
「書く?」
「うん!」
「そうしなくっちゃいけないさ。〔十三字伏字〕、〔四字伏字〕区別なんぞないんだ。そうだろ?」
「俺は……」
「わかってるよ。ブルジュアの魔法さ」
 オーリャは、信吉の顔の前で、艶々した唇をトンがらかして呪文をとなえる真似をした。そして笑い出した。
「さ、握手しよう!」
 信吉[#「信吉」は底本では「信者」と誤植]はしっかり、細い、だが力のあるオーリャの手を握った。
「さきへ行って、食堂んとこで待っといで。いい? 私、コーリャよんで来てやるから。あの子、がっかりしてたよ、さっきは――」
 信吉は、元気に手をふって花壇を足早に工場学校の方へ行くオーリャの後姿を長いこと立って見送ってから、食堂へ行った。

        四

 シッ!
 シッ!
 
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