等ひろいところで五分だ。
この上に現在ぎっしり詰って生きている九千万人の人間を彫り出せと云ったら、いかな豆彫の達人もちょっと閉口するだろう。
東は太平洋だ。いろんな冒険家がアメリカとの間を横断飛行やろうとしているがまだ成功した者は一人もない。そんなに広い太平洋だ。
西は日本海だ。狭い日本で急速に資本主義が発達した。儲けるすき間のなくなった資本家が、先ず朝鮮をしゃぶり抜いて満州や沿海州へ侵入し、ひと当てやろうとしていることは知らない者のない歴史的事実だ。
大きいところでは南満州鉄道、北樺太石油、最近借区料問題でソヴェトとの間に大ごたごたをまき起し、さも日本の大衆に直接利害のあることみたいな体裁で騒ぎたてた露領漁業組合。――
信吉が働いていた××林業株式会社というのも、たち[#「たち」に傍点]はそれだった。木材をやすくアルハラの山奥から伐り出し、筏《いかだ》で船まで流して内地へ製紙原料、製箱用材として売り込む。それが商売だ。
去年の秋、××林業株式会社現場行人夫募集の広告を見たとき、自転車屋が潰れてあぶくれていた信吉は、気が動いた。
村じゃ、あぶくれの三男坊なんかにっちもさっちも行くもんじゃなかった。十日に二日ぐらい日雇がある。日雇は三十銭から七十銭どまりだ。それで食うのはこっち持ちだ。
分家も出来ないでふけた兄貴二人が、板の間の火の気のない炉ばたで、ときどき煙管《きせる》で炉縁をはたきながら額をつき合わしている。
親父は裏の納屋の方でゴトゴトやってる。親父は小心で何かにつけて、兄貴たちを憚《はばか》っているんだ。
信吉自身は、重苦しい空気を背中にこらえて、切戸の前へころがり、掌の中へかくして、半分吸いのこりのバットを、ふかしていた。
徴兵のがれで嬉しいと思ったのなんか、こうなって見りゃあ糠《ぬか》よろこびだ。――
ええ、行ってやれ!
監獄部屋や蟹工船の話をきいている信吉には、××林業の現場とはどんなところか、不安でないこともなかった。だが、村を出るに贅沢云っちゃいられない。
親分のハゲ小林という半ズボンに引率されて、アルハラの現場小舎へ着いたら、山また山の黒っぽい樅《もみ》の葉にサラサラロシアの粉雪が降りだした。
日本人が事務員を入れて三十人足らず。ほかにロシア人の労働者が五六十人稼ぎに来ている。日本人は日本人のバラック、ロシア人はロシア人のバラックと、山の斜面に四棟の小舎が建っていた。
根元へ斧を入れられた樹は先ず頭から振れ出し、細かい雪煙をたてて四辺《あたり》の下枝を折りながら倒れる。それにたかって枝をおろす。それから雪の上、林の間を馬に引っぱらせてアムグーン川の上流まで運び出す。
そこでは日本人夫の経験のあるのが、材木をドシドシ氷結したアムグーン川へころがし込んだ。春、解氷期になると、ロシアじゅうの川は気ぜわしく泡立ちながら氾濫する。今こうやって氷の上へぶちこまれている材木は、アムグーン川の氷がとけて水嵩《みずかさ》がますと一緒に、河口までひとりでに押し出されるという寸法だ。
人夫募集広告には、日魯林業株式会社直営現場となっていた。が、それは表面上のことで、内実は伐り出しから船渡しまでがいくらと、親分の請負だ。信吉のような平人夫は日給二円。一人前の仲仕が二円八十銭位とった。金は、いきなり事務所の会計では渡さず親分のハンコがいった。山でいるだけの小遣いは露貨で貰って、残りは日本の金で宅渡しだ。
××林業が現場を開いた年から毎年出稼ぎに来ているという源が、或る日バラックで腹掛のドンブリから受けとって来た金を出しながら、
「畜生、なめてやがんな。ルーブリをいつだって六十五銭よりやすかあ換算しやがらねえ。手前たちの税なんか、どんなルーブリで払ってやがるか知れやしねえのに……」
と云った。信吉には初耳だ。
「相場あ、違うのけ?」
「ルーブリはお前、国定相場と暗黒相場ってえのと二通りあるんだ。国定で行きゃあ一ルーブリは一円がちょいと足を出すのよ。ところが、国法で、ソヴェトは金《きん》を国外へ持ち出すことを許さねえ。そこでチャンコロが密輸入で儲けたルーブリをみんなロシアの国境で投げ売りする。奴等あちゃんと人を使ってそいつを片っぱしから買わせてやがるんだ。ソヴェトへ払う税や、お前、労働者に払う金は、図々しくそういうルーブリでゴチャマカしてやがるから、会社あ肥るんだ。ソヴェト対手《あいて》の利権会社あみんなその手をつかってるのよ」
「そうかい!」
どうりで分った。ハゲ小林が、人夫への換算払出しには割方鷹揚なわけだ。人夫への換算率は六十五銭だが実は三十銭ぐらいで買ったルーブリだとすりゃ、もうそこで三十五銭は丸儲けだ。円で払う分《ぶん》が減りゃ減るほど奴等が得するんだ。
「ようし、畜生! じゃ俺あ帰るまで
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