―ずっと北の雄基《ゆうき》の先だ……じゃ、また」
スタスタ自分の乗っている車の方へ行ってしまった。
「ヤ」
遅ればせに声を出したっぱなしで、汽車が動き出しても信吉は、ボンヤリしていた。――鮮人かい!……内地で鮮人と云えば、土方か飴売りしかないもんと思ってる。自分はそれよりひどい暮しをしている内地人だって、〔十四字伏字〕。
震災[#「震災」に「×」の傍記]のとき、何でえ、〔八字伏字〕! 〔四字伏字〕! ハッハッハと新井の伯父は裏の藪で竹槍[#「竹槍」に「×」の傍記]の先を油の中で煮ていた。〔十九字伏字〕。だが、大した罰をくったこともきかなかった。
その鮮人に計らず信吉は自分の難儀を助けられたんだ。
次の朝、建物の前へ赤い横旗を張りわたした小さいステーションへとまったとき、あっちからやって来る縁無眼鏡の姿を見ると、信吉は何だか気がさした。
けれども、対手は一向頓着ない風だ。
「やあ」
とむこうから声をかけた。
「きのうは、ありがとうござんした」
「いや」
手にもっていた新聞をひろげながら、
「今日はノボシビリスクだね、シベリアもあと半分だ」
信吉の気がほぐれた。ぶっきら棒に、
「日本語うめえね。俺、ホントに日本人かと思った」
「……日本人じゃないか!」
縁無眼鏡は皮肉に薄笑いした。
「どこで言葉覚えたのけ? 東京かね?」
「ああ」
「勉強したのかね」
「うん」
「大学か?」
その男は黙って煙草ふかしていたが、低い声で、
「旅券もってるか?」
と信吉にきいた。信吉はドキッとした。こいつ――知ってやがんだべか、ズラかって来たのを。――
「……お前は持ってるのか」
「…………」
今度はその男が黙っていた。
日本人夫の旅券は一まとめにハゲ小林が持っていて勝手にさせないんだ。
「どっからだ?」
しばらくして対手が訊いた。
「――アルハラの奥だ」
「鉱山か?」
「林業だ」
パッと力を入れて吸殻をプラットホームの土へ投げつけ、縁無眼鏡は靴でそれを丹念に踏みけした。
縁無眼鏡の名は李と云った。
「じゃあ〔四字伏字〕と親類ぶんだハハハハ」
汽車が動いてる間でも、信吉の場席へブラリと李がやって来るようになった。
「ホ。ホ。これだけの石油がウラルから来るようになったんだなア」
引こみ線に止っているタンク型の石油運搬貨車を見て李がひとりで感服することがある。そ
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