で茶を入れて飲む習慣だ。
熱湯配給所の小舎のわき、棚の前へ土地の物売りが並んでいる。
ゴムの尻当てみたいな輪パンがあるナ。いくらだ? 四十五カペイキ? たけえ!
樺の木の皮へつつんだバタを売ってる女がある。
次は――玉子。
バケツに塩漬|胡瓜《きゅうり》を入れて足元においている婆さんから信吉はそれを三本買った。ナイフで薄くきってパンにのせて食うんだ。
焼豚の脂肉《あぶらみ》――
鶏の丸焼もあるが、ヤカンを下げた連中は値をきくだけで通りすぎちまう。
やっぱり気をつけて金をつかってるんだ。
柵が終ろうとするところに、桃色の布をかぶった十五六のぼってりしたロシア娘が、可愛らしい口に細かい黄色い花の小枝を咬えながら、牛乳を売っている。
信吉は何しろ財布があやしいから胡瓜やオーブラ(干魚)で幾日もしのいで来ている。不意と濃い牛乳を流しこんで見たくなった。
「なんぼ?」
四合瓶に一杯つめたのを指して訊いた。
「五十カペイキ」
しめ、しめ! 確にそうきいたと思い、信吉は牛乳瓶をとって、娘の手へ五十カペイキわたした。
すると、どうしたこった! 娘はいきなり口から花の枝をほき出すなり大きな声で何か叫んだ。信吉の手元へとびついて来て、持ってる牛乳瓶をひったくろうとする。冗談か? そうじゃない。何すんだ! 不意をくらった信吉が思わず肱で娘をよけようとした拍子に、ヤカンからちょんびり湯がこぼれた。娘の足にそれがかかった。娘は大業な悲鳴をあげた。
瞬間の出来ごとだった。が、忽ちまわりに人がたかって来た。
何だい。
どうしたんだ。
支那人じゃないか?
すると娘は、涙も出ていないのに甲高な啜《すす》りあげるような早口で、何か訴える。何を云うのかわかりゃしない。
信吉は面倒だから、人の間をぬけて出てしまおうとした。どっこい! いつの間にか、四十がらみの黒ルバーシカを着た大きい男が信吉の肱を軟かく、しかし要領よく掴んでいる。
「|買ったんだよ《クピール》! |買ったんだよ《クピール》! うるせえ奴だナ」
それをおっかぶせて、娘がまた啜りあげるような早口でまくしたてる。――
途方にくれた信吉が、そのときオヤという顔をして人だかりのあっちを見た。視線を追って、数人がそっちを見た。
何だ?
――日本人だ。
いい装《なり》をしているんで、尊敬をふくんだ云いかた
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