額に、尊敬と愛着との涙をもって接吻した。
 特にフランスへ帰ろうとしていたセバストーポリの宿で、ジイドは、彼の親愛な若い友人ウージェヌ・ダビを、猩紅熱で失った。時間としては短い二ヵ月余のソヴェト初旅行は、それ故終始、敏感なジイドにとって或る悲痛な感情の緊張をともなった印象の裡にまとめられたものであると云えよう。彼らしく、「狭き門」の作者らしく、ジイドは、ゴーリキイやダビや、オストロフスキー、その他新社会の建設の中に生命を捧げた人々への無限の愛を表すために、自身のソヴェト旅行記をますます「いつもよしとして称讚したいものにたいして、最も厳格である」という自分の精神に従って「何らの表裏も手加減もなく真情を傾けてソヴェトを語り」そのことによってソヴェトにより多く貢献し、更に「ソヴェトよりもっと重大な」人類の運命と文化とのために貢献しようと決心したように見えるのである。
 序言で、ジイドはギリシアの神話までを引用して、姑息な愛の恐るべき害悪を語っている。これまでソヴェトを旅行したものが、多くの場合それぞれの既成の見解に動かされて、ソヴェトの真相を憎悪の念をもっていうか、愛情をもって虚偽を伝えるかする傾向が強かった。ジイドは、自分の立場を確然とこれらの一群と対置しようとした。ソヴェトの偉業にたいする讚歎の情があればこそ、ソヴェトが彼に希望することを許したものがあればこそ強まる彼の批評精神によって「ソヴェトによって実現された事業は十中の八九まで実に称讚に価する」のであるが、のこる十分の一に示されていると彼が感じた「重大な誤謬」について率直に語ろうとしている。ジイドが「指摘する重大な誤謬にたいして、ソヴェトはきっと打克つであろう」という確信、「ある国の特殊な誤謬は決して国際的な普遍的な、主義の真理を傷つけるものではない」という人間の明智に対する信念によって――ジイドは、また、彼の論敵ら「秩序の愛と暴君の趣味とを混同する」徒輩が、この紀行文から手前勝手な利益を引っぱり出すであろうことをも、はっきりと予見している。しかも彼が敢てこの紀行文を公表するのは、上述のような人類的な確信と共に、虚偽に固執することは却って敵の攻撃に絶好の機会を与えるものであるという現実生活における経験及び「真理は、たとえ痛々しいものであっても、癒すためにしか傷つけないものである」という、誠実への献身に励まされての
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