対感、責任感が、どんな社会的実体でつめられてゆくか。ジャーナリズムが無関係だとは云えまい。風よけの大名屏風のように、そのときどきの折りたたみ工合でもち出されるものをただ手つだってかつぐだけでジャーナリズムの任務が果されているとは考えられない。
雑誌の企画にあんまり雷同性がつよい。これは、多くの人を不安にしている。真の原因として何があるのだろうか。日本の民主化を鼻であしらっていない編集者たちは、一冊の雑誌に右と左とをバランスさせて、さしひきゼロ、功罪なしと採料して貰うために苦心しているように見える。これは、ひとごととして見てすぎられるようなことではない。
昨今はいよいよ、事実を語る勇気と理性を求める意識が、せせらぎのように日本の人々の心に鳴って流れている。ジャーナリズムは金攻めの岩、自由攻め岩、民主攻めの岩々をよけながら難破しないで前進してゆかなければならない。ジャーナリストの眼には、ちらちら横に動くはやさのほかに、遠くのものを見とおせる航海者の視力と、ローリング・ピッチングにたえる脚の力がもとめられて来た。
[#地付き]〔一九四九年十月〕
底本:「宮本百合子全集 第十六巻」
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