ひろがって二・二六事件記事の合理化された更生から文学にまで波及し「軍艦大和」のように問題となる作品をうんだりした。
 時期をひとしくして、天皇の一族とその宮中生活について、あれやこれやの記事がはやりはじめた。天皇が若い皇太子としてフランスに行っていたころの平民的な思い出話。高松宮が大阪で社会見学をした――と云ってもキャバレーやバーめぐりであるが、どたばたキャーキャーの記事。こういう記事は、いまのジャーナリズムで新版水戸黄門膝くり毛めいた効果をもっている。日本の人々の心に過去の幻のかげとしてのこっている天皇や宮さまというものの権威、しかもそれが、ふーんなるほど、ああいう人たちというのはそういうものなのかねえ、とつぶやかせるように、自分たちにとっての日常茶飯事において一種の型やぶり、おうようなまぬけの行為者として出現して来ているところに、こんにちのアロハシャツ的封建性への効果がとらえられている。
 乃木大将の程度のものでさえ、田舎おやじの風体で微行して、その土地の関係者が彼を発見したときの恐縮や一変した待遇をエンジョイしたことは有名である。きょうの宮さまとよばれる有閑な中年の男性たちが、あ
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