こと、階級的そうなことを云っても、対手の女を見ると、その男の非公式な部分、書いてない部分[#「書いてない部分」に傍点]が露出している。
女の場合も同じです。
芸術や恋愛が、階級性ぬきのどこやら超現実的なもののように感じられているとしたら、とんだ間違いです。
一人の女が小ブルジョア的な人道主義、偸安主義の生活を何かの必然的動機ですて、プロレタリア解放のために一つの役割をもって生活するようになれば、キット、生活の変化は恋愛と恋愛観の変化を起すにきまっている。
そうではありませんか?
例えばK子は、これまで通りK会社へ勤めてはいる。けれど、会社がひければ或る日は研究会へ出席し、或る日曜日は全協[#「全協」に×傍点]の一般使用人組合の仕事を手伝わなければならなくなって来た。
それだのに、彼O氏は、K子の生活変化の必然性を理解しないばかりか、会えば宵の七時から十二時までぶっつづけにくッついていなければ怒る。日曜日ごとにゴルフとまでは行かないプチブルらしくベビー・ゴルフというものへ、半ズボンはいて行くO氏のお伴をしなければ、不和を生じるという場合、どうしてK子はO氏との恋愛をよろこび、共に発育して行く人間らしい楽しみを感じることが出来ましょう。
時間的に先ずやりきれなくなり、O氏の生活態度がイヤになり、サヨナラとなるのは当然ではありますまいか。
いやにならなければ、K子の嘘つき! です。O氏は、その場合、キネマ仕込みの口笛を街の風に向って吹き、恋愛は自由だ、ララララと思うかもしれない。が、ほんとにこの資本主義社会で恋愛は自由でありましょうか?
ブルジョア婦人解放論者は、経済的独立は婦人を解放すると叫ぶ。それを真にうけ独立したいから、女学校の上に英語の勉強までして会社に入る。――果して、彼女たちの三十円ならしの月給は、独立[#「独立」に傍点]するに十分でしょうか?
恋愛して、母となる時、では会社は月給つきの休暇を四ヵ月くれますか? 姙娠五ヵ月以上、十ヵ月未満の赤坊のある婦人は決して解雇しないという労働法を、会社は適用するでしょうか?
恋愛が自由でないのはバカにもわかる。愉快な恋愛を健康にするには、この資本主義の社会とは違った経済的基礎、制度、ものの考えかたがいる。
そういう社会をお互に一日も早くつくりたいと、私もペンを武器とし仲間とともに働いているわけです
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