イツのシムボリズムの画家として、その構想の奇抜なことや、色感が特別ロマンティックな点などで人々の注目をひいていたクリンガーの影響をも強く受けたことは注目される。ケーテのある作品をシャウフェルがクリンガーの絵のようだといって感歎したということを伝記者がつたえている。おそらくそれは、クリンガーの作品にある人間の気高い感情を現わそうとする傾向ににている点をさしたのであろう。
クリンガー(一八五七―一九二〇)の芸術に畏敬と愛を感じながらも、その一つ一つを模写することは自分の真の成長にとって危険なことだと直感していたことは、ケーテの画家としての本質的な健康さであったと思う。
やがて予定の伯林《ベルリン》滞在の期限がすんで、ケーテ・シュミットは故郷のケーニヒスベルクへかえってきた。シャウフェルは、父親に、ケーテが完成するまで自分の画塾に止るようにすすめたが、それが実現しないうちに、シャウフェル自身がイタリーのフローレンス市へ去らなければならないことになった。
「彼の辛い人間としての運命の道を終るべく」フローレンスに去ったといわれている。
ケーテは、ケーニヒスベルクの生れた家で肖像だの河港に働
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