祖父の箴言は常にケーテの勇気の源泉となったように思える。
事実、ケーテ・シュミットはケーテ・コルヴィッツとなっても画業は決して棄てなかった。それどころか、良人カールの良心に従った生活態度とその仕事ぶりとは、婦人画家としてケーテの見聞をひろく深くし、人間生活への理解を大きくした。そしてその素質に一層よいものを加えたことが窺《うかが》える。ケーテの天性にそなわっていた思いやり、洞察、誠意は、良人カールの月賦診療所をめぐって展開される赤裸々な社会生活の絵図と、おびただしい肉体と精神とに負わされている階級社会の重荷とを、苦しみにゆがんでいる顔の一つ一つの皺に目撃することとなったのであった。
少女時代から育って来た環境から、自然ケーテにとって親密なモデルであった勤労する人々の生活が、真に社会的な意味で理解されはじめたのも、おそらくはカールと結婚した後の成長の結果ではなかったろうか。結婚後六年目の一八九七年にケーテの初めての版画集「織匠」ができ上った。結婚したら絵を止めるようにと忠告したケーニヒスベルクの父シュミットのところへ、ケーテはその画を見せに行った。父シュミットは、折から庭に出ていた妻
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