準備のためにつかわれて、朝の二時三時まで二つしか椅子のないキュリー夫婦の書斎での活動はつづきます。
 一八九七年、マリヤは長女のイレーヌを生み、彼女の家庭生活と科学者としての生活は一層複雑に多忙になったけれども、健康なマリヤは、すべての卓抜な女性が希うとおりそれらの生活の全面を愛して生きようとしました。「妻としての愛情も、母としての役目も、それから科学も、等しく同列においてそのいずれからも手を抜くまいと覚悟していた。そうして熱情と意志をもって、彼女はそのことに成功したのである」
 成功の冠は、一九〇四年、ピエールが四十五歳、マリヤが三十六歳の年、ラジウムを発見した業績によって、世界的に彼等の上にもたらされました。ノーベル賞を与えられた彼等は科学者として最高の名誉の席につかせられ、学界からおくられる称号、学位の数々は、まるでそういう名誉でキュリー夫妻を飾ることを怠れば、その国々の恥辱となるとでも云いそうな勢でした。もしキュリー夫妻の艱難と堅忍と努力と成功の物語がここまでで終っていたとしたら、この人々の生涯は、成程立派でもあり業蹟もあがっているが、謂わば平凡な一つの立志伝にすぎなかったと思
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