われます。
成功し業蹟をたてた人の真の価値は寧《むしろ》世間にその価値が認められてから後、その人がどんな態度で周囲から与えられる尊敬や名誉やそれに伴う世間的な利益に処して行くかというところにこそ、人間としての評価の眼が向けられるべきではないでしょうか。キュリー夫妻の生涯の価値、科学者としての真のえらさは、一九〇四年の春のある日曜日の朝の会話にその精髄をあらわしていると思います。アメリカから来た一通の手紙が二人の間のテーブルの上におかれています。手紙は、アメリカの技術家からラジウム調製の方法を教えて呉れるようにと云って来ているものです。この手紙の内容は、誰にでもすぐ考えられるとおり、キュリー夫妻が世間の人たちが誰でもやっているとおり自分の発見に特許をとって、ラジウム応用のあらゆる事業から莫大な富を独占するか、それとも、そんなことは一切せず、科学上の発見を人類の進歩のためにひろく開放するか、二つに一つの態度をきめさせる性質のものでした。特許をとれば、明かにラジウムは巨万の富をキュリー夫妻へもたらすでしょう。学生時代から貧乏のしどおしである日々の生活が安らかになるばかりでなく、科学者としてキュリー夫妻が永年の間憧れている設備のいい実験室さえ何の苦もなく持つことが出来るでしょう。それらのことは、彼等のこれまでの辛苦に対して当然のむくいではないのでしょうか。マリヤは静に金儲けのことや物質上の報酬のことを考えた揚句、こう云いました。「私たちの発見に商業的な未来があるとしてもそれは一つの偶然で、それを私たちが利用するという法はありません。」ラジウムが病人を治す役に立つからと云って、そこから儲けることなどマリヤには思いも及ばないことであったのです。ピエールとマリヤは科学者としての彼等の後半生の方向をきめたこの重大な相談に、僅十五分を費したきりでした。夫妻がノーベル賞を授与された祝賀会の講演で次のようにのべたピエールの言葉こそ、キュリー夫妻を不滅にした科学の栄光であると思います。「私は人間が新しい発見から悪よりも寧ろ善をひき出すと考える者の一人であります」と。
[#地付き]〔一九三九年十二月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「少女の友」
1939(昭
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