ニーも世界政治についてしっかりした見識のある一人の共産主義者となっていたのであった。
五十代になったカールの健康は衰えはじめた。ロンドン生活の貧困と心労、ひどい勉強が精力に溢れたカールの肉体をも疲らせ始めた。肝臓病が始まった。一八七四年からはカルルスバードの温泉療法が試みられた。温泉はいくらか利いた。けれども、そのとき、愛するイエニーが弱りはじめた。苦痛の多い経過の長い癌と闘わなければならなかった。六十六歳のイエニーは、もう稀にしか起きられなくなった。いとしい「モール」がこの年は肋膜炎で絶望となった。「それは恐ろしい時でした。」「あんなに合体していたこの二人は、もう同じ部屋に一緒に居ることは出来なかったのです。」末娘エレナーは書いている。彼女と年取ったレンシェンとがカールの命を救った。二人は昼夜ぶっ通しの看病をした。不思議に命をとりとめた「モール」が、病むイエニーの部屋へ初めて行った朝の美しい光景を、エレナーは感動をもって記録している。
「二人は一緒に若返りました――彼女は恋する乙女に、彼は恋する若者に、一緒に人生に歩み入るところの――そして互いに生涯の別れを告げているところの――病みほつれた老人と死につつある老婦ではありませんでした。」
カールはもう一度丈夫になれそうに見えた。その時――一八八一年十二月二日――イエニーが死んだ。「親愛なる、忘れがたき生涯の伴侶」は失われた。最後までよいユーモアを失わず、みなの気を引立てるために冗談をいって笑いまでしたイエニーは、最後の意識が失われようとする時カールに向って云った。「カール、私の力は砕けました。」彼女の眼はいつもより大きく美しく輝いていた。口がきけなくなった時イエニーは娘たちに手を押しつけて、優しくほほ笑もうとした。そしてだんだん眠りに入った。エンゲルスはこうしてイエニーが死んだ時云った。「モールも死んでしまったのだ」と。
エレナーは書いている。「お母さんの一生と共にモールの一生も終ったのです。彼は沮喪しないようにと激しく闘争しました。(略)彼は彼の大著を完成させようと努めました。」
生涯の伴侶の埋葬にカールは立会うことが出来なかった。病気のため医者から外出を禁じられていたから。数人の親密な友人が、彼女をハイゲートの墓地へ送った。エンゲルスの墓前での言葉は次のように結ばれた。
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「このよ
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