イタリー芸術に在る一つの問題
――所謂「脱出」への疑問――
宮本百合子

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)先達《せんだっ》て

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三七年七月〕
−−

 先達《せんだっ》て「リビヤ白騎隊」というイタリー映画の試写を観る機会を得た。原作はフランスのジョセフ・ペイレのゴンクール受賞作品だそうで、ファッショ紀元十五年度のムッソリーニ賞杯獲得映画である。筋は単純なものである。クリスチアーナという女の愛に失望したマリオ・ルドヴィッチ中尉が従来の生活環境と感情とから脱却するために、アフリカのリビヤへ赴きそこの守備隊に加って土民征服に出かける。この経験から生きる目的を一変させた中尉ルドヴィッチは後を慕って来たクリスチアーナにむかって、自分はここから去ることは出来ない、去る気もないと彼女の愛をも拒む。それが終りとなっているのである。
 私ども素人の目にはクリスチアーナに扮したランツィという女優も貧寒であるし、ルドヴィッチ中尉に扮した俳優チェンタに特色も認められなかった。概して云えば技術的に後れてい
次へ
全8ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング