などをきいていると、わたしたちの後へ二人のポーランド将校がやってきた。ポーランドは美人国だそうだから男もせいぜい綺麗にするのかもしれないが、彼等の軍服の華やかなことといったら、玩具の大将みたいだ。ツルツルに剃って、粉をふった頤を、雪のように高いカラーの上にのせて、白い手袋をもって、輝く靴の後では拍車が歩くたんびに鳴っている。
 二人の将校はわたしたちの後に立って、おしきせとの問答をきいていたが、なかの一人が、わたしに向って、カドリールでも踊る時のように、腰をこごめながら、
「あなたは日本の女の方ですね」
と云った。
「え、そうです」
「我々はよく日本の方を知っています。いつもいい印象を与えられています。日本の方におめにかかるのは非常に愉快です」
 日本からいろんな外国へ駐在武官が派遣されている。そういう人々に聞いてみたら、彼等はきっと云うだろう。
「さあ、ポーランドなんかなかなかいい方だね。とても日本人を優待するよ。特別あすこは軍人がもてるからね」
 だが、わたしはどんな駐在武官の細君でもない。思いがけないおついしょうにびっくりして、手にもっていた小さいハンカチーフを絨毯の上へ落した。すると、お菓子のような将校は、いとも優雅にそのハンカチーフを拾って――どうぞ――とフランス語で云いながら渡してくれた。
 いよいよメーデーの朝になった。
 くたびれていたので、目が覚めたのは九時すぎだった。びっくりしてベッドの上へ起き上って耳をすましたが、音楽も聞えず、足音も聞えない。急いで着物を着て、ともかく公園のところまで行った。人通りは沢山ある。妙なレイン・コートのようなものを着た若いものも大勢歩いている。先へ先へと、また一つの公園につきあたった。右へ行っていいのか、左へ行っていいのか、見当がわからないので、通りがかりの爺さんに、
「劇場広場はどっちですか」
ときいた。
「劇場広場? あなたが行くんですか」
 わたしたちを頭の先から足の先まで見下して、驚いたことには、この爺さんまで、
「ウーム」と、うなった。
「左へ行くんです、それから右へ行くんです、そうするとつきあたりが劇場広場だが……やめたらいいでしょ」
 やめるために聞きはしない。行くためにきくのだ。教えられたとおりに行くと、通りは次第に群衆でつまってきた。みんな一種緊張した何かを期待しているような目付で数人ずつ連れだち、ゾロゾロ歩いているが、どこにも組織されたデモンストレーションの列は見当らない。広場に近づくにつれ、意外のものがめにとまった。まるで戒厳令だ。通りに面している店と云う店はことごとく表戸をしめている。板戸に錠前をかけ、あるところでは鉄扉がおろされている。
 広場の中心へ行くと、やっと、行列らしいものがあった。往来でもみかけたようなレイン・コートの一隊が広場をグルリと列で取り巻き、手に手におそろしく太いおんなじ形のステッキをついている。みんな鳥打帽だ。
 一台、二台、三台トラックがきている。上にギッシリやっぱりレイン・コートの一隊が立っている。はじめはそれが行進を待っているメーデーのデモンストレーションだと思った。
 が、すぐ変だなと気がついた。レイン・コートの一隊は右手に赤い布で腕章をつけている。墨でそこへ何かかいてある。自分はポーランド語が読めない。それでもロシア語に似た、ポリーシャ(警備隊)という字は読めた。よく見るとその前には、市街という字がある。
 そうするとこれは反動青年団だ!
 反動青年団がこんなにも大勢、こんなにも太いステッキで武装して広場を囲んでいる!
 かんじんの労働者はどこだ? グイグイ体でステッキとレイン・コートの間をおしわけ、その中へ入ってみたら、ホンの数百人、赤旗を中心に憂鬱な、カンシャクを喰いしばったような顔をしたデモがたっている。
 歌をうたうものもない。反動青年団の袋の中へ追い込まれ、出るもひくもできない。さてどうしようと考えている風だ。
 その時、遠く左手の狭い路の奥でインターナショナルの奏楽が聞えはじめた。
 ソラ! デモがきた。わたしはかならず、その音楽に相応して広場に先着しているデモの中からも湧くような歌が起るだろうと思った。ところが、ほんの一節聞えただけで、音楽はやんだ。
 群衆の頭越しに行進してくるようにみえていた旗もどうやら一つところへとまって進めないようだ。
 いわば反動青年団と、デモンストレーションとの睨み合いだ。数から云っても広場の中に到着しているだけのデモはとても反動団の太いステッキには勝てそうもない。
 わたしは今、この時刻に、モスクワの全市を赤旗と音楽と飛行機の分列式とでおおいながら、壮麗極まるデモで行進しているソヴェトの労働者の有様を思い、ゲンコを握って、このひどい反動的空気をなぐりつけたい気になった。
 実に
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