生活をよぎなくされている若い女性の文章があったのに、今度編輯局から送られて来たのにはそういうのが一つも加わっていません。どういうわけだろうかと思います。体の丈夫な者、働くもの、そういう女性だけがこの人生に存在する権利をもっていて、弱いひと、患って働けないものは、無視されなければならないという感情がどこかにかあるほど、現在の日本の世間の気流は荒々しくなっているのでしょうか。
一、学年末断想 中村由美
題がそれを語っているとおり、これは全く感想です。けれども、小さい子供の真の価値と学課の点数の問題にくいちがいを見て苦しむ若い女先生の心情は読む者に感銘を与えます。こういう軟かく瑞々しい感情をもっている方が、先生として報告文学の要点をのみこんで、記録をつくったらば、意味のあるものが書けそうに思われます。
一、自己を愛する 会沢貞子
これも感想を書いたものとなっています。そういうものとしては、若々しい女性の心の熱をよく伝えています。一人一人の若い婦人が自分を大切にして境遇とたたかい成長して行かなければ女全体としての水準のあがる時はないという考えかたも正当であると思います。「時局にすべて薄弱なものはおし流されるでしょう、」と、情熱と意欲とをもって人間が働くべき事が強調されていますが、ここのところに若い女性にとって様々の微妙な現実の問題がひそんでいるのではないでしょうか。何故ならば筆者が真心をこめて「社会が余りにも女性に無頓着でありすぎた」と云っている事実は、時局の勢でおし流されるどころか、或る地方の女学校では今頃貝原益軒の「女大学」を生徒によませ始めているという逆行ぶりです。社会のそういうおくれた勢は、薄弱などころか極めて強固です。そうとしてみれば、時局におし流されない薄弱でないものは総てそれなりで女性の向上のために有意義なものとも云えないことは明らかです。それらの生きた関係も十分心が配られ判断が加えられて初めてよい情熱が女の生活を推しすすめてゆくのだと思われます。
このほか「境遇に勝とう」「家庭生活から」「貧しき教師」「病舎に」「お勤めして感じたもの」等いずれもそれぞれの生活の条件の中から若い女性が伸び育って行こうとしている心の姿が書かれているのですが、感想をのべた文章となっています。心持の報告でもルポルタージュであっていいという気持をもたれるかもしれませんが、「生活の設計」以下のものと、初めの二つのものとをよく比較して御研究になって欲しい思います。[#地付き]〔一九四一年五月〕
底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
1980(昭和55)年4月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「女子文苑」
1941(昭和16)年5月号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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