た」という感情にまで追い込まれないことを、総ての聴きては望んでいるだろうと考える。

        聴取者は生きている

 あちらこちらでラジオのことが考えられている様子で、十二月号の『中央公論』に宮原誠一氏が「放送新体制への要望」という文章をかいていられる。
 筆者の閲歴などについて全然知らないから、その文章についての限りの印象だけれど、集団聴取その他様々の放送事業の新しい歩み出しが望まれている文章の題に、やはり今日のラジオ性が反映して、「放送新体制」というようないいつづけかたがされているのも、興味がある。
 放送局の構成や人事について粛清というような文字がつかわれていることも、いろいろ私たちを考えさせる。近頃一部の流行の語彙と見れば、筆者のありようを語るわけだし、本来の語義で解釈していいものとすれば、こういう表現はその反対物として、夥《おびただ》しい因襲、悪弊の存在を認めなければならないというわけになる。
 図解が昨今は大変趣向にかなうらしくて、この文章にも図入りで新構成の案が出ている中に、放送文化研究所というものが想定されていた。そこでいろいろ研究するのだろうが、それにつれて現在までの放送局の研究的な仕事のうちに、聴取者からの反響は、どんな形で調べられ統計づけられて来ているのだろうか、と思った。
 投書を分類する。それはずっとやられているだろう。けれど、放送局に来るハガキ投書を整理して数を出すだけでは、今日聴きての心理に印象されている一種の消極な感じの原因を生々しくつかんで、それをとりのぞくことは出来にくそうに思われる。
 一晩なら一晩とおしての放送を全く強制のない条件で聴かしてどれを面白がるか、一つの話のどの部分で興味が示されたかという調査は、すでに実行されていることなのだろうか。日本でない或る都市の児童劇場では、児童心理の教授が五、六人の助手を率いて数年に亙ってそういう心理学的方法の調査をしている状態を見たことがあった。そういう科学に立った調査から示される図表は、同じ図表でも形の方からきめてかかっているのでないから、現実的で動的で、その業績が多方面に役立てられている。
 ラジオについて宣伝という面が画時代的に重視されているとすれば、聴きての生活から反映する心理的なものの科学的研究などは、第一に真面目にされるべきだろう。聴取料をはらっている家々の数は五百余
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