行った味噌こしざるみたいなものと一緒にまだ彼の笑顔が残っている。もう、樺色外套の背中は見えない。――
自分は思わず笑った。これはロシア的だ。そして農民的だ。彼がうまくやったのが何だかユーモラスで、私はひとりでに笑えた。歩道に立ち止って見ていた者も笑っている。巡査は、別に追っかけようともせず、傷けられた表情もなくりんご売の逃げた方角を眺めていたが、両手はポケットに入れたまま、やがて四ツ角へ向って歩き去った。味噌こしみたいなものは、どこかの物売女が拾った。
ロープシンは自殺しなければならなかった。政治的見地からすれば彼自身、不幸な最後を予想しない訳ではなかったろう。然し、彼はロシアなしではもう生きておられなかった。だからかえって来た。そして死んだ。彼のこの激しい郷愁の原因はどこにあったのだろうか。
またここに、「世界を震駭させた十日間」の筆者ジョン・リードがある。彼は饑饉時代に南露でチフスの為に死んだ。ジョン・リードは機敏なアメリカのジャーナリストとしての手腕の他に、他人ごとでない愛と興味をロシアとロシアの新生活に対して抱いていた。「世界を震駭させた十日間」に、彼はどんな私見もさしはさまず記録的に書いているが、記録蒐集のこまやかさと整理の印象的な点に、我々は彼がどんなにロシアに魅力を感じ理解していたかを知る。彼をひきつけ、我等を吸いよせ、殆ど眼を離させぬロシア生活の魅力とは、一体どこにある何ものなのであろうか。
私はそれを感じる。モスクワの古く狭い街路の上に。群集の中に。或はホテルの粗末な絨毯の上を闊歩する代表員《デレガート》のキューキュー鳴る長靴の上に。スイッツルの旅行者はアルプスと碧い湖と林とを見る。何より先自然の美観が彼に作用し、各々の才能に従って三色版のエハガキのようにか、或は散文詩のようにか彼の印象記を書かせるであろう。ロシアには、このような意味の風光は無い。モスクワでは、例えば、古風な寺院の外壁のがんに嵌めこまれた十八世紀の聖画に興味をひかれたら、彼は必ず同時にその外壁の下でひまわりの種をコップに入れて三カペイキで売っている婆さんの存在をも目に入れなければならない。聖画の古さ、婆さんが頭にかぶったきたない布《プラトーク》、婆さんの前を突切って通行する皮外套の婦人共産党員《コムムニストカ》の黒靴下の急速な運動など――互に対照する人生《ジーズニ》の断面
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