気よいというよりも気のたった大声をはりあげメーデーの歌をうたいつつ、ゆっくり進むかと思うと、腕を組み合ったまま急にかけだして、途切れそうになる行列をつないで、進んでゆく。前方を見ると、行列は顎紐をかけゲートルを巻いた警官の黒い群に雪崩《なだ》れこまれ、警官が列の中から検束しようとする同志を守ってかたまりとなり、大揉みに揉んでいる。がんばれーッ――ひっこぬかれるなッ! そういう怒声もきこえる。歩道の人々はおどろきと恐怖の表情で、そのさわぎを眺めているのであった。
そのころのメーデーといえば、全く勤労大衆の行進か、警官の行進か、という風であった。険相な眼と口を帽子の顎紐でしめ上げた警官たちが、行列の両側について歩いて寸刻も離れないばかりか、集合地点には騎馬巡査がのり出した。歩道には、市内各署の特高のスパイが右往左往して日頃目星をつけている人物を監視したり今にもひっぱりそうな示威をしたりしている。おとなしく立っている女ばかり数人の私たちでさえ、いやな気がしてじっと一つところにはいられなかったほど、胡散《うさん》くさい背広の男たちにつきまとわれた。行進が上野の山へ集合した頃、私たちは群集におされながら、松坂屋の先の、時計屋の大きい飾窓の下におしつけられていた。見物の群集が、そんなにどっさりだったのは、組合の人々の行うメーデーの行進が全く一つのたたかいであって、なかなか簡単に参加ができなかったからであったし、もう一つには、そうやって、権力の乱暴な妨害に抵抗しながら、腕をくみ、進んでゆく労働者の姿に、人々は敬意も感じてその光景を見たがっていたのであった。
苦しい、荒々しいメーデーであるから、婦人の参加は、割合少なかった。それでも、千を越す婦人労働者が加わっていた。やはり腕を組み合わせ、一生懸命な眉をあげて歌いつつ、それらの人々は時々警官と小ぜり合いしながら進んで行くのであった。
今年は、どんなメーデーだろう。ラジオはメーデー歌を放送し、インターナショナルを歌い、新聞は、行進の順路を発表した。メーデー準備は、全勤労者の統一メーデーとして進められているのであった。
五月一日の朝があけてみると、東京は小雨がおちて、風も相当にある。うちでは、一人が前日から徹夜でメーデー準備をやって、六時すぎ帰って来た。その人を加えて三人の男たちが、行進の身仕度で、握り飯をもってでかけた。二
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