さっぱり洗いたての靴下をはかせてあげた奥さんもありましたろう。
つとめのある方は、そうして行進に出かけ、さて、うちにのこった婦人たちは、この一年に一度のメーデーを、どうおすごしになるでしょうか。メーデーだと云っても、決して遅配のお米が配られては来ません。この二三ヵ月、また一段と高くなった物価も、せめてメーデーだけは、と割びきもありません。メーデーであるきょうも、行進とともにすすむ歌声をよそに家庭の婦人は、小さい子供たちの手をひき背中に赤ちゃんをおんぶして、汗ばむようになったのにさっぱりした袷もないと思いながら、闇市で晩のお惣菜をあさらなければなりません。メーデーは、外で働いている人たちだけのもの、家庭の心配から解放されることのない日本の家庭婦人にとって、メーデーは、ひとのことのように見えるかもしれません。
でも、みなさま。ほんとに家庭の婦人にとって年毎のメーデーというものは、ひとのことなのでしょうか。ただ、よけい、靴下のつぎの仕事がふえるというだけのことなのでしょうか。
世界で、はじめてメーデーを働くものの行進の日ときめて、それを実行しはじめたのはアメリカの労働者でした。一八八
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