弟。それよりも、さあ、黙ってよう……」
読んでここへ来ると、私たちは思わず身じろぎをして快い笑いに誘われながら、ああ、ゴーリキイ! と思わずにはいられない。この短い、小さい逞しい人生についての問答は、私たちに後年チェホフが云った一つの言葉を思い起させる。二十四歳で、ロマンティックな作家として世に出たゴーリキイに向って、チェホフが「知っていますか? 君はロマンティストじゃない、リアリストですよ。知っていますか?」と云った。そのことを思い起させる。更にそれから後、「哲学の害」を書いたゴーリキイ自身を、そして、その晩年に於て、新しい人類的見地に立つリアリズムの理解によって六十八年の全蘊蓄の価値を傾けて民衆の歓びとなったマクシム・ゴーリキイの終曲《フィナレ》の美しさに思い到らせるのである。
「結構さん」と、泣くことのきらいな小さいゴーリキイとの間に交わされたこの問答の中からは、ゴーリキイを通して民衆的なものの見かたの本質と、旧時代のインテリゲンツィアの特性の一面とが、鋭い対立を示して現れている。この注目すべき性質の対立は、ゴーリキイが十五歳になり、カザン市へ出かけて当時の急進的学生たちとの交
前へ
次へ
全35ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング