クシム・ゴーリキイは自分を「馬蠅の雲の中へ脚をとられた一匹の馬のように」感じるのであった。
 折からカザン大学に学生の騒動が始った。パン焼の窖につめこまれているゴーリキイにはその意義がはっきり分らなかったし、原因も漠然としていた。パン焼職人の仲間たちは、大学へ学生を殴りに押しかけようとしている。
「おお、分銅でやっつけるんだ!」
 彼らは嬉しそうな悪意で云う。たまらなくなって、ゴーリキイは彼等と論判をはじめた。が、結局自分に学生を護り得るどんな力があるというのであろうか。
 ゴーリキイの全心を哀傷がかんだ。夜、カバン河の岸に坐り、暗い水の中へ石を投げながら、三つの言葉で、それを無限に繰返しながら彼は思い沈んだ。
「俺は、どうしたら、いいんだ?」
 哀傷からゴーリキイはヴァイオリンを弾く稽古を思い立った。劇場のオーケストラの下っ端ヴァイオリンを弾いているその先生は、パン店の帳場から金を盗み出してポケットへ入れようとしているところを、ゴーリキイに発見された。彼は唇をふるわし、色のない目から油のように大きい涙をこぼしながら、ゴーリキイに訴えた。
「さあ、俺を打ってくれ」
 この堪え難かった年の十二月の或る晩、ゴーリキイは雪の積ったヴォルガ河の崖によりかかりピストルを自分の胸にあてて、発射した。弾丸が肋骨に当ってそれた。彼は生きた。
 翌年の春、この出来事によってかえって生活に対する溌剌さをとり戻したゴーリキイは、学生仲間で知り合ったロマーシという、シベリア流刑から帰ったナロードニキと、ヴォルガ下流の或る村へ行った。ロマーシはそこで「人間に理性を注ぎ込む仕事」をし、ゴーリキイはそれを助けたのであったが、この村の生活で、二人は富農のために店をやかれ、危く殺されそうになった。農民、特に富農が「理性的に生活しようとする人をいかに執拗に憎悪する」かということ、及び、解放運動に参加する一勢力として持っている農村の複雑性、非社会性を、極めて現実的に(トルストイが「イワンの馬鹿」に神を認めたのとは違った風に)ゴーリキイが把握するに至ったのはこの期間の緊張した経験が役立っているのである。
 一八九〇年代に入っては、ニージュニの情勢も移った。急進的なインテリゲンツィアのグループは、今やマルクスの著作を読んでいた。「唯物論者」となった人々の間には、相も変らず盛んに討論が行われている。ロシア全土
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