が当面興味をもっていないことについてゴーリキイが話しはじめると、彼等は遮った。
「そんなことはやめてしまえ」
だが、ゴーリキイにとって話したい、打ちあけたい生活の苦痛、錯綜した印象の回旋そのものはやまら[#「やまら」に傍点]ない。減りもしない。当時は又夥しくトルストイアンが現れ「眼には憎悪と軽侮とを現わしながら『真理――それは愛です』と叫び」ながら客観的にはポヴェドノスツェフの反動政策の支柱を与えつつ、消極的な八十年代の人々の間を横行した時代であった。彼等はゴーリキイに向って説教した。
「人間が低いところにいればいるだけ、それだけ生活の本当の真実に、その聖なる叡智に近い……」
実際生活における彼等の虚偽と偽善を目撃することが、ゴーリキイの心に憎みを煮え立たせた。人間の生活において愛と慈悲との役割はどういうものであろうか。ゴーリキイにはこの生活は余すところなく愚かで、殺人的に退屈なように見えた。人々は言葉の上でだけ慈悲深く親切だが、実際の上では我知らず一般的な生活の秩序に屈服しているように思える。自分が尊敬し信じていたナロードニキの人達の暮しも例外でないという感想は、ゴーリキイを一層暗くするのであった。インテリゲンツィアの中にはもっと質のわるい毒気をふきかける人々もいた。彼等は飲んだくれながら、嗄れ声で云った。
「君は何だ? パン焼き――労働者、不思議だ。そうは見えない。俺はパリで、人類の不幸の歴史、進歩の歴史を勉強した。そうだ、書きもした。――おお、こんなことがみんなと何と……」
彼は、ゴーリキイに、アンデルセンの有名な「見っともない雄鴨」の話を知っているかと訊いた。
「この話は――誘惑する。君ぐらいの年には僕も、自分は白鳥じゃないか? と考えたもんだ。進歩――それは気休めだよ。人間が求めているのは忘却、慰安であって、知識ではない」
この時分、ゴーリキイは彼を「俺のレクセイ・マクシモヴィッチ、俺の可愛い錐、新しい人間!」と呼んで親密にするモローゾフ紡績工場の老職工ルブツォフを知っていた。クレストッフニコフの労働者で指物師のシャポーシニコフとも知り合っていた。「ドイツ人」という綽名のあるルブツォフは、辱められた晴やかさに満ちて、ゴーリキイに思い深げに叫ぶのであった。
「俺の可愛い錐。お前の考えはよ、正しい考えだ。だが、だあれもお前の云うこたあ、信じやしねえ。損
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