ね?」
と訊いたが、この訊きかたそのものがゴーリキイに彼の労働者でないこと、しかし彼の使命は果されたことを一層はっきり感じさせた。
これがきっかけとなり、当時のカザンに於けるナロードニキを主とする急進的なインテリゲンツィアとゴーリキイとの接触がはじまった。ゴーリキイは、墓場の濃い灌木の茂みの中でもたれる彼等の集りに行った。すると、彼等は波止場稼ぎの若者であるゴーリキイが「何を読んだかということを厳重に問いただした上で」彼等の研究会でゴーリキイも勉強するように決定した。そこではゴーリキイが一番年若であった。後に自殺した或る師範学校の生徒の家へ集って、チェルヌイシェフスキイの註解付のアダム・スミスの書物を研究するのであった。アダム・スミスの読解は、ゴーリキイをひきつけなかった。「よその小父さん」の幸福と安逸とのために自分のすべてを消耗しているものにとっては実に明らかな事実について、むずかしい言葉でこんな大きい本を書く必要はなかったという風に、ゴーリキイには考えられた。スミスが提出する経済学の命題は、生活から直接獲得されたものとして、ほかならぬ彼自身の皮膚の上に書かれている。――
然しながら、マクシム・ゴーリキイはその退屈をこらえ「絶大な緊張をもって、草鞋虫の這っている窖の壁を見つめ、坐りつづける。」彼の内心に答を求めて疼いている数限りのない「何故?」がそこから彼を去りかねさせるのであった。マクシムは、抑え難い感動をもってゲルツェン、ダーヴィン、ガリバルジなどの肖像を眺めた。そして、息苦しい室内に集って真理を擁護しながら議論をわき立たせるこれら一団の人々が、よりよい人間の生活の招来のために献身していること、彼等の言葉の中には彼の無言の思いも響いていることを感じ「自由を約束された囚人のような狂喜で」これらの人々に対したのであった。
同時に、これまで経験したことのない妙なばつわるさ、居心地のわるい瞬間が、ゴーリキイの生活に混りこんで来た。これらの学生達は目の前へ彼を置いて「まるで指物師が並々ならぬものを作ることの出来る木の一片でも見るよう」な眼付でゴーリキイを眺めた。「子供が道傍でひろった大きい銅貨でも見せ合うように、誇りをもって」彼を皆に紹介し合った。これは、ゴーリキイの淡白な気質にとって工合わるかった。更に彼等は、ゴーリキイを「生えぬきだ!」「まったくの民衆の子だ!
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