し蝋燭の青い光に満たされたその桶のなかぐらいの大さの洞の横手は、色硝子のこわれや茶器のかけら[#「かけら」に傍点]で一面に飾られている。真中の小高いところは赤い布で包まれていて、その上に小さい棺が安置されているのであった。棺には銀紙が貼られているが、そこから突出ているのは雀の小さな灰色の爪と鋭い嘴であった。棺の後方の聖台、その上の銅製の十字架。三本の燃えさし蝋燭のともっている燭台にはどれもお菓子の金紙や銀紙がはりつけられてある。洞の中には、燃える蝋の匂い、腐ったものの臭気、湿った地べたの匂いなどが一杯である。ぎごちない驚異の感情がゴーリキイをとらえた。然し、恐怖は起らない。サーシャが貪慾に訊いた。
「いいだろう?」
 だが、一体これらは皆何のためなのだろう? ゴーリキイは率直にその疑問を呈出した。
「何にするんだい?」
「辻堂さ、似てるだろう?」そして「雀から聖骸がとれるかもしれないよ。罪科もないのに苦しみを受けた致命者なんだから……」
 ゴーリキイは、いかにも彼の性質らしい現実的な問いを発した。
「あの雀は死んでいないのかい?」
「いや、物置に飛んで来たのを帽子でおさえてしめ殺したんだ」
「何だってさ!」
「何てことはないけど……」サーシャは、ゴーリキイの顔を覗き込んだ。
「いいだろう?」
「いいや!」
「どうして気に入らないんだ?」
「雀が可哀そうだもの」
 この論判から掴み合いが持ち上った。ゴーリキイがサーシャの辻堂を破壊した。忽ち翌朝からサーシャの魔法――小僧ゴーリキイが朝磨かなければならない靴という靴の中の、ちょうど手を怪我せずにはいられないところにピンが植わっているという復讐がはじまった。スープをひっくりかえして火傷をする程、ゴーリキイはその靴屋の小僧という境遇、奇妙な従兄のサーシャを嫌悪し逃亡を欲したのであった。
 後年ゴーリキイは、「人々の中」で、この插話の思い出を非常に色濃く、感情をこめ、ディッケンズの俤を浮ばしめるような筆致で描いている。
 ゲーテが五つ六つの時、父親の鉱物標本を譜面台の上に積み重ねて祭壇をこしらえ、レンズで集めた太陽の光で香をたいて、その前に燻じ、万有の神に捧げたという話は、世界文学史の上に「黄金のように輝いた少年」ゲーテにふさわしい逸話として或る意味では伝説的な誇張をもって伝えられている。ゲーテの祭壇とサーシャの辻堂との間には
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