ことを理解するには困難であること。農民は政治上の自治権を獲得しなければならないこと。自分達の組合をもたねばならないこと。それ等をよく理解していたらしい。けれども当時ロシア関税政策の結果として起った農村の窮乏。地代の騰貴。七分、八分五厘という高利の「農民銀行」を利用する富農の強化などによって、驚くべき勢で農村の階級的分裂が促進されつつあった。ロシアには一千万の労働者と、その二倍の貧農が発生しつつあった。ロマーシとゴーリキイのまわりに親密な感情をもって集ったのは、クラスノヴィードヴォの村での、そういう貧農たちと、進歩的な、中農なのであった。
村での実際の生活とその観察とは、ゴーリキイにナロードニキ達によって知らされていた大ざっぱで、理想化された農民というものの考えかたに変化を与えた。農村では、都会よりもずっと健康に、誠実をもって人々が生きていると聞かされ、又多くの本はそう書いている。然しその生活の裡に入ってみると、ゴーリキイに「農民の生活はそんな単純なものには見えな」かった。「それは土地に対する緊張した注意と人々に対する多くの敏感な狡猾さを要求している。そしてこの理性の貧しい生活は誠実ではない。村のすべての人々がまるで盲人のように触感で生活し、皆が何物かを恐れ、互に信ぜず、何か狼のようなものが彼等の中にある。」ゴーリキイにとっては「理性的に生活しようと欲する人々を何故あれ程執拗に愛さないのかを、理解するのが困難であった。」労働者と全く違う農民の気質、農村に対する都会の知的、文化的優越をゴーリキイはまざまざと感得した。田舎はゴーリキイの「気に入らない」のであった。
ヴォルガの村々へ、林檎の花とともに咽ぶような春の季節がやって来た。月の夜、軽い風に蝶のような花は揺れ、微かに音をたて、そして村全体が金を帯びた碧色の重々しい波に揺れているように見える。休みの日の夕暮、娘達や若い女達は雛鳥のように口を開けて歌をうたいながら、村の往還を行った。微かに酔っているような笑いを笑う。村の女たちにいつも愛されているイゾートもまたまるで酔っているように微笑する。彼は痩せ、一層厳しく、美しく、神々しくなった。
或る休み日の朝、ロマーシの小屋の煖炉用薪に火薬をつめこんだ者があり、それが爆発して、あやうく下女を殺しかけた。窓ガラスが皆こわれた。通りを子供らが叫んで馳けまわった。
「ホホール(
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