分の将来がどうなるかは知らないが、この日記だけは世界にのこす積りである。私たちの読む書物は皆こしらえものである。筋に無理があり、性格にうそがある。けれどもこれは全生涯の写真である。ああ! こしらえものはおもしろいが、この写真は退屈だ、とあなたはいうでしょう。あなたがそんなことをいうならば、あなたはひどく物のわからない人だと思います。
 私はこれまで誰も見たことのないようなものをあなたにお見せするのです。これまで出版されたすべての思い出、日記、すべての手紙は、皆世界を偽るための拵えものに過ぎません。私は世界を偽ることには少しも興味を持っていない。私には包むべき政略的の行為もなければ、隠すべき犯罪の関係もない。私が恋をしようとしまいと、泣こうと笑おうと、誰もそんなことを気にかける人はありはしない。私の一番心にかかることは出来る限り正確に私というものを表わしたい[#「出来る限り正確に私というものを表わしたい」に傍点]ことである」と。
 この、できる限り正確に自分を表わしたい、という衝動こそは、マリアの短い燃えきったような全生涯を貫いて、絶えず彼女を人間、女として向上させた貴い力であり、勇気と客観的な冷静さの源泉であった。大勢の女ばかり多い貴族的で有閑的な、つまり気力の乏しい家族にとりかこまれ、一見賑やかそうで実は孤独であったマリアは、よろこびも悲しみも、すべてを日記の中に吐露し、それを正確に吐露することで、一歩一歩と進み出て行っている。すっかり体が悪くなった一八八四年の五月一日に、マリアは五ヵ月後に自分の命が終るとは知らないながらも、いちじるしく肉体の衰弱を感じてこの日記に「序」を書いた。
「あざむいたり気どったりして何になろう? ほんとうに、私はどんなにしてもこの世の中に生きていたい[#「生きていたい」に傍点]という、望みではないまでも、欲望をもっていることは明らかである。もし早死をしなかったら私は大芸術家として生きたい。しかし、もし早死をしたらば私のこの日記を発表してほしい。」「もしこの書が正確な[#「正確な」に傍点]、絶対な[#「絶対な」に傍点]、厳正な[#「厳正な」に傍点]真実でないならば、存在価値はない。私はいつもただ私の考えているだけのことをいうのみではなく、またあるいは私を滑稽に見せるかもしれず私の不利益となるかもしれぬことをかくそうと思ったことはなかった。
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