り、休んだりする時間を出来るだけ沢山与え、文化の程度を高めようとして苦心した。ソヴェト同盟では、十四年来面倒な台所を、大仕掛の国営厨房工場というものに変えることをやって来た。
 尤も、昔からロシア人は、日本人のように三度三度米の飯をたべたり、味噌汁をのんだりはしない習慣だ。工場労働者でも、農民でも、スターリンだっても、朝はフーフーふくぐらい熱い紅茶にパンにバタをくっつけたのぐらいで、勤めに出てしまう。
 昼十二時に、あっちでは朝飯というのをやる。一寸した腹ふさぎだ。卵をくったり、罐詰をくったり、牛乳またはチーズというようなものとまたもやパンと茶。
 ソヴェト同盟では八時間、七時間労働だから四時すぎには仕事からあがる。ほんものの食事はそれからだ。独身者は近所の食堂でスープ二十カペイキ(二十銭)肉か魚野菜つき一皿、三十カペイキ。果物の砂糖煮十カペイキから十五カペイキ。こう三皿で「正餐《アベード》」となってるが、もちろん、三皿食うときばかりはない。
 財布と相談だ。但、スープにしろ、ソヴェト同盟のスープは汁だけではなく、みがうんと入ってる。キャベジ、人蔘、ジャガ薯《いも》、肉片。魚スープもあり、量がひどく多くて、慣れないうちは食べきれぬ。
 さて、夜は、ざっと朝のくりかえしだ。
 世帯もちは、亭主が帰って来る時分までに、細君が石油コンロや瓦斯コンロで、食事の仕度をして待っている。――日本と大したかわりはない。
 然し、めいめいが僅かばかりの肉だ、野菜だとわざわざ市場へ出かけて手間どって買って、燃料をかけて不美味いものをこさえるよりは、専門家が、材料も選び、料理に腕をふるったものの方が、やすいし、美味いし、第一時間がはぶけ、どんなに暮しが身軽くなるかしれない。
 一九三〇年ソヴェト同盟では一日平均百三十万人分の公衆食事が扱われていた。
 この写真にある通り、とてもハイカラな厨房工場がモスクワ市のはずれ、工場区域に出来た。
 行って見て、びっくりした。チャンと売店があって、あっためるばかりの料理がいろいろガラス棚に並んでいる。子供のための献立、病人のための献立と分れている。工場からひけて来たソヴェト同盟のお神さん、連盟のお神さん連がつめかけて、重ね鍋に料理を買っている。別な食堂の入口から、二階の大食堂へ行くと、またなかなか洒落《しゃれ》てる。夏は、風通しよいところで食べられる
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