導しても、党は或る一定の文学的分派を支持することは出来ない。」「党はあらゆる異った団体及び潮流との間の自由な競争を宣言せざるを得ない。他のあらゆる解決は役所的、官僚的な虚偽な解決となるだろう。」
 つまり、党は、プロレタリア作家団体だからと云って、その団体ばかりを特別エコヒイキはしないぞ。ソヴェト同盟内の革命的プロレタリアートと党とは、過渡期のソヴェト社会内のあらゆる異分子と闘い、或るときはそれをボルシェビキ的な指導によって、発展させることによって、実践によって、社会主義社会建設の道を前進している。プロレタリア文学の発達の道も同じだ。多くの流派の間で揉まれ、試され、闘いつつ、自身の文学的実践で自分の道を勝ちとれ。そういう意味なのだ。
 階級社会の現実につよく根ざして成長するものでなくて、権力によって調節されたり、特権を利用しなければ権威のないような文学的見地に立つなら、プロレタリア文学は発展も成長もしないという意味のことを云っているのだ。こういう、党の文学に対する態度が、正当であるのは誰でも認めるだろう。
 ソヴェトに於いて一九一七年から二一年までは、時々刻々が燃え立つ革命の年であった。
「十月」と同時に散兵して、いろいろな文学の陣営についた作家たちは、めいめいの場所で、ソヴェト文学史の上に、意味ある仕事をした。
 新経済政策以後、五ヵ年計画実施までの六年間を一口に云えば、ソヴェトのプロレタリア文学にとって一種の模索時代だった。勿論彼等は勉強していた。主として技術向上のための勉強をやっていた。何故なら、革命当時の、生活の火がペンに燃えついているような作品はもう書けない、「十月」は歴史的に扱われなければならず、「今日」は複雑だ。「十月」を描くにしろ、それは緻密な分析と綜合とをもって注意ぶかく、展望的により高い永続性をもつ芸術的技術で書かれなければならない、立体的にそして現実的に。――革命当時のプロレタリア文学の作品がもっている類型を揚棄しなければならない時期になった。プロレタリア作家が古典や外国文学を勉強していたその数年間に、「同伴者《パプツチキ》」の作家たちはナカナカ仕事をした。左翼のパプツチキ作家団体の中でも、マヤコフスキーを主とする未来派出の「左翼戦線《レフ》」または「構成派《コンストラクチビスト》」の作家、或はプロレタリア団体の中でも左翼的で歴史も古い「鍛冶屋
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