を冒すことは非常に減っており、その点ははっきりしている。
 フランスでは要するにブルジョア機構内で女が自分の性をどうしたら最も功利的に利用出来るかと考えている。だからフランスの女権拡張運動というものはどういう状態にあるかということの説明になる。だけれどもソヴェトでは男も女もそういう意味のブルジョア的性別は、減っている。何故かというと、労働において女は男の協力者であり、また家庭生活の中でも第一小学校から男と女のする仕事が別れるということがない。お弁当を食べる時……学校でくれるお弁当を食べると、後の皿を洗ったりいろいろすることは男の子も女の子も混って一緒にする。それから部屋の掃除も、畑を耕すことも、植物を採取することも一緒にする。托児所の揺籃から共学です。そういう点でも気分が自然違うわけで、つまり子供のうちから女と一緒に働き、一緒に仕事をするということから先ず根本の感情が出来ているから非常にはっきりしている。
 また女性の性の必然というものをソヴェト位保護しているところはない。フランスのような服装の上でまでの性の誇張、そういうことは勿論ソヴェトにはない。そのないことはそれでまた健康であると
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