あるまいかと思った。
 私の下の級で「Aさん」は文章達者な人だと云う事が話に出た事があるし又その文章を見せてもらった事も有ったが、色の淡い、おっとりした淋しい筆つきの人だと云う事だけは知って居たけれ共顔は知らなかった。
 私はきっと彼の人だと思った。
 どうしても聞かずには置けない様な気がして傍に居る眼のギロリとした、いやな声を出す人に、
「Aさんって云うのはどんな方?」
ってきいた。
 その人は変に笑いながら、
「そらその方
と私のそうだろうと思って居た人を指さした。
 教えてもらって別に口を利くでもなくお互に悲しい様な笑をなげ合ってその日はそのまんま帰って仕舞った。
 それから私達は誰が何と云おうとも離れられないほど親しい友達になったのである。
 そこの学校を出て私が他処の学校へ通う様になってもM子の引けの後《おそ》い日にはわざわざまわって行って一緒に帰った。
 M子が学校を出て仕舞ってから一年に一度も会わない時もあったしその間手紙の一本もやり取りしなかった時さえ有ったけれ共その次会った時には昨日会った時と同じ何のこだわりも無い気持になれた。
 始めの間は只親しいと云うのに過なかったけれ共今はもう、私は何でもM子の事をかばってやる様な位置になった。
 そう云う気持になった。
 家庭的の事情からM子の生活状態は種々に変った。
 或時は思いきり華かな中に、或る時は涙の出るほどじみな中に――
 そうして私の喜ぶ事は度々の生活状態の変化はあっても、その素直な、生一本の気持が失われずに有る事である。
 おっとりした、深々《ふかぶか》と物をむずかしく考えない、口のはっきり利けない様な様子がM子の最も良い性質を表わして居る。
 M子の好い処はその生一本の気持にある。
 私より身なりの大きいM子が重そうな髪をうつむけながら低い声で何か相談をしかける様子を今も思うのである。
 M子の彼の良い性質は此度の生活状態の変化にも失われる様な事は有るまいとは思う。
 そうは思いながら私の心には云いがたい一種の不安が満ち満ちて居る。
 私は或程度まで低級な人達の間に入って苦痛なしに彼の人が暮せるかどうかと云う事である。
 ああ云う性質の人が甚しい苦痛を受けた時ほど情ないものはない。
 只自分を意味もなく卑下する事ばっかりを教え込まれるものである。
 只むやみと卑下する人の心を思うと私は何だか
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング