内的配置の移動を覚えました。永い間忘られていた純粋な歓喜が心を貫いて、涙をとどめ得なかった。何といおうか、人格の芯の芯まで光りが射し込み、自己内部に拘わっているものの純不純が一目瞭然とし、我というものに対して取るべき態度、延いては外界と自己との均衡がその時の最善に於てきっぱりと、わかったのです。
この位置のきまったという感は、恐らく、次にまた大きな危期が来る迄、私の生活の基礎となりましょう。世の中というものを仮に大きい、複雑な諸質、諸力の活動している生物体と見ると、その裡に入った一細胞としての個性は、何等かの意味で、各自の在るべき場所を得なければなりません。精神的自信を持ち得る確さに於て。
ところが、いわゆる、境遇の変化という通路によって、新たな有機体の中に這いったものは、そう容易に自己の場所を心的に見出し得るものではないと思います。押され自らも押し、種々な力の牴触を経て、しっくりと或る処に真から落付く。それから徐ろに周囲の養液を吸収し、整理し、発育して、自己の本質的な営みというものを明かにして行く。勿論、この期に得た、明瞭らしい外囲との相対的関係も、或る時間を経、進化の道程に不必要な老廃物となったら、必ず破れ、第二次的渾沌が生じましょう。然しそれを見越しても、その時にはその時必然の階梯を、みっしり踏んで置くことは大切と思うのです。
私は、これ等の貧しい内省の裡から決して、一般的な訓戒や警告を抽き出そうとは思いません。多くの若い婦人は、決して、私ほど甘えて人生を見てはいられなかったでしょうし、「本むし」の弊も持たれないでしょう。けれども、最も低い声で囁けることは、こんな自己と外界との劇しい揉合いを誰でも一度は経験するとしたなら、いざ自己の落付こうとする時、殆ど無意識にとる精神的態度の如何によって、次期の渾沌が生ずる迄の幾年かの人格的趨勢を暗示されるのではないかということです。
何故なら、性格の最も生産的な時期といえる成年、中年の時代が、時には余り沈滞した光彩ないものとして一般に感じられることが多くあり過ぎますから。
[#地付き]〔一九二三年一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「女性日本人」
1923(大正12)年1月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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