」に「(二字不明)」の注記]ナ、お百合ちゃん、キット、あれはなくさずに持って居てナ、わてこれは死んだら棺の中まで入れてもらいますさかえ……」お妙ちゃんはもう氷りかたまった様な声で斯う云って闇をすかす様にしてしばらく私のかおを見つめて居たが急にクルリと向きなおって暗の中へ――楽屋の方へ行ってしまった。「お百合ちゃん」耳のせいか何かかすかに私の耳にひびいた。私ももうどうにもこうにもならない様になって紫のふくさを抱いて祖母をせきたてて列車にのりこんでしまった。私は自分の体が汽車にのって居ると云う事はどうしても信じられなかった、ましてあんなに仲よくして居たお妙ちゃんを一人おいて来たとは――いくら考えても思われなかった。けれども早い勢でとんで居る列車は段々私をそう信じさせてしまった。私も又それを信じないわけには行かなかった。うすっくらい寝台車の中で私は涙を又新らしくポロポロこぼしながらふるえる指さきでしっかり結んである紫ふくさの結び目をといた。中からはなお私の涙を誘い出す様な青く、まっさおく光る青貝の螺鈿の小箱があった。私がよくこれを見るとこの角々をなで廻しながら「マア、ほんまに何とえい箱やろ、わて心中しようとまで思う人でなければあげんのえ」こんな事を云って居た箱だった。私はその青貝のまっさおの光の上をソーッとなでながら夜の白むまでまんじりともしなかった。斯うして新橋におろされた私は久しぶりでせわしい目まぐるしい様子を見ながらもお妙ちゃんの事を思わずには居られなかった。家に帰った。すぐ私はお妙ちゃんのところへわざわざきれいなのをそろえて手紙を出した。細い細い心書きで書いて三ひろほどもそれを私は目を涙でひからせて投げ込んだ。五日立った日に返事が来た。クモのあの銀色の糸のおののきの様なかすかにはかなくそして又ないほど美くしい――、そうした気持のする返事であった、字一字の間にもあの赤い色と白粉の香りはしみ込んで居る様に思われた。四日にあげず手紙をやりとりして居た。時には只一輪なでしこを封じ込めたのもあった。時には読みつかれるほど書いたのもあった。どれでも、どんなんでも皆私にはこの上なくうれしいたよりであった。
 今年の秋の淋しさと云ったら――私はまるで病んで居る様に只淋しい気持が自分で可愛そうな様になった、それでも遠くに分れて居る私達は思ったまんまを手紙に書いてはなぐさめあって居た
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