くてさ! 金もなくてさ!
 あかんべーだよ」
[#ここで字下げ終わり]
 雪のかたまりを男はけとばした。
[#ここから1字下げ]
「いくら死なそうたって病気にはならねえし、あいにく竹庵どのにはナ、これでも生れてから一度だって御やっけえになった事はねえんだ!」
[#ここで字下げ終わり]
 目には見えないでもすさまじい音をたてて頭の上で鎌をふりまわして居る黒い影のあるのを感じた男ははかなげにこう云いながら立ちどまってぐるっとあたりを見廻した。
 うす黒い乳っくびの様な形のものは男の囲りに無数に□[#「□」に「(一字不明)」の注記]って来た。
 前にだらりっとさげた布をあげると目玉のない鼻のないものが出てガタガタガタと笑ってはひしひと男にせまって来た。
 その呪われたものの様な影の次にはまっしろな雪がキラキラ闇の中に光って居る。
 あくんで居る男の足はいてついた様になって頭に血がドカドカとのぼって舞った。
 のぼりつめて行きどこのない血はその小っぱけなろくでもない頭の中をあばれまわった。
[#ここから1字下げ]
「こんちく生!」
[#ここで字下げ終わり]
 おどり上って男が叫ぶと一緒に頭の上に何かが落ちかかって来るのを感じた。
 それからあとは男は何にもしらなかった。
 夢中の様な形をして道のない雪をけたてて走りさる男の人間らしい形は段々小さくなってたった一つの黒点になってころがって行った。

 最後に「こんちく生!」とどなった口をあいたまんま頭を石の間にはさんで男がつめたくなって居たのは翌朝でうえた烏は群れて丸くとんで居た。



底本:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年12月25日初版
   1986(昭和61)年3月20日第5刷
初出:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年12月25日初版
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年9月25日作成
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