から、……」
「あとで……晩に上りましょう」
「晩まで御楽しみにして置いて……」
 それから、私達は、だれでも、あいたいと思ってる人にフイに思いがけない様な時に会った時にする様な、あとでキットくやしくなるとりとめもない話をして笑いながら牛肉屋の角で分れてそれから私は走る様にして家に帰った。マアほんとうに夜になるのが待ち遠しかった事、私は、夕飯をしまうとすぐ門のところへ出て丈の高いあの人の姿の夕やみの中にうくのをまちあぐんで居た。長い矢がすりの袂をヒラヒラさせてしなやかな足つきをしてあの人は私の目の前に立った。二人は、笑いながら敷石をかたかた云わせて私の部屋に入った。先にあの人がここに来た時よりもって居る私の本は倍ほどにふえて居た。
「マア、随分、あつめた事、……私なんかこの頃いそがしい思をしてばっかり居るんだから……」
 こんな事をあの人は云ってこの頃少しふとった肩を両手でおさえた。
「御楽しみを早く教えて――」
「云いましょうか、でも何だか、一寸云いにくい事なんだけれ共……私今嘉久子の家に居るの、弟子の様になって……」
 斯う云ってあの人は私がどんな事を云い出すかと思うて居るらしく、うす笑いをしながら私の目を見て居る。
「とうとう……でもいいでしょう、自分の望んで居た事なんだしいろんな事が都合よく行って居るんなら……私だってきらいな事じゃなし……」
 私は、こんな事を云った。
「外の人が聞いたらキット何とか云いましょうネ、でももう、何んて云われたってかまわないけれ共……貴方さえ気にしなけりゃあかまいやしない……」
「それで……今あっちの田町の家に居るの……」
「ええ、随分はでな暮し方です、我ままでネー――」
 あの人はまるで自分に関係のない家の事をはなす様な口調で云った。
 あの人の様子は一寸も変って居なかった。それでどこにも、そんな事をする人らしいういたいやみなところはなかった。私はそれをうれしく思いながらいろんな事を話し合った。芝居――脚本そう云うはなしになると今までとはまるで違った真面目さと熱心で私の云うのをきいて居た。あしたの朝十時位までには帰らなくっちゃあならない事、また二十□[#「□」に「(一字分空白)」の注記]日には大阪まで行くんだからいそがしい、なんかと、おちつかない、それでうれしそうなかおをして云って居た、「もう今私はそりゃあ真面目に勉強して居る
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