こまずにはおかない。あんまりつらかったときには、櫛田さん自身もきっと泣いただろうと思う。心で泣くなどというしゃれた泣きかたではなく、ポロポロ涙をおとして泣いただろうと思う。わたしまで泣いたりしてごめんなさい、でもわたし、やっぱり泣けるのよ、といいながら。――櫛田さんにはこういう飾らない、人柄まるむきのところがある。そこが彼女を型にはめず、すました女史にしてしまわないところではないだろうか。
今日婦人民主新聞は四周年を迎える。こんにちまでに編輯長は、松岡洋子、湯浅芳子、厚木たか子、水沢耶奈子とうつってきた。のりと鍋と刷毛とをもって、生れ出る婦人民主新聞のためにビラをはって歩いた初代の編輯長櫛田ふきののちに。
婦人民主新聞は、これらの人々の努力と読者の支援によって、だんだん新聞らしくなり、生活的になり、歴史のすすみゆく日日に役割をふかめてきている。婦人民主クラブと婦人民主新聞が、はじめからきょうまで平和のために発言しつづけてきていることは注目されなければならない。同時に終始一貫して、婦人と子供の幸福が守られない社会に、全体としての生活の安定もあり得ないことをはっきりとみ究めている態度も支持多い理由である。その上にたって日本のまじめな婦人大衆の生活の闘いと平和への発言を世界の婦人の活動の一部としててらし出してきた。
櫛田さんが、「あたりまえ」の一人の婦人であるということは、何といいことだろう。日本でも婦人の生活のあたりまえさが、櫛田さんのきょうの生き方にまでのび拡がってきている。このことは、わたしたち婦人のすべての前に展望される新しい「あたりまえ」さとは、どういうものかということを暗示していると思う。
[#地付き]〔一九五〇年三―四月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「婦人民主新聞」
1950(昭和25)年3月31日、4月8、15、22日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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