二人の若い日本の娘をつれて乗り合わせていた。娘たちはありふれた洋装であるが、ありふれないこととして盛にガムをかんでいる。兵士は二人ともラテン系のアメリカ人で、カールした髪が、帽子の下からはみ出ている。彼等としては、普通に国で女の子と喋る時のように喋っているつもりであろうけれども、その栄養のよい体の楽々とした吊皮への下りようや、何か云っては娘の顔を覗く工合が、周囲の疲労し空腹な男女の群の中にあって、どうしても、独得な雰囲気をなしているのであった。
ふと見ると、その一団の斜め後に、二人の青年が佇んで、凝っと細々と、変化する兵士と娘たちの声やポーズに注目している。十八九歳の二人で、実直な勤労青年であることが一目で見とれる人々であった。その二つの若い日本の青年の面に浮んでいたその時の表情を、わたしは忘れ難く感じている。どちらかと云えば単純なその二つの顔は、彼等が言葉にも表現し得ない程、複雑な、云うに云えない青年としてのこころもちを反映していた。若々しさが、直接に、その若い感性にとっては一つの漠然たる苦悩として感じられている顔つきであった。
この表情は、これほど真率に、凝集して現れているのを見たことは稀だとしても、今日の日本の青年たちの毎日のうちに、一度二度は必ず顔面を掠めて通る感じではないだろうか。
若い女性たちの口許に、同じような表情が浮ぶ時も多く見かける。
そして、感じを表現する能力のある人々は、今日、日本の若い娘が自尊心と気品とを失ってしまっていることを非難しているのである。
それにつけても、戦争犯罪人というものの行為が及ぼした害悪の大さと深さとにおどろかれる。それらの人々は、経済的に、政治的に祖国を破綻させたとともに、民族の道義をも難破させた。戦争を強行するためには、すべての人民が、理不尽な強権に屈従しなければ不便であった。その目的のために、考え、判断し、発言し、それに準じて行動する能力を奪った。外的な一寸した圧力に、すぐ屈従するように仕つけた。無責任に変転される境遇に、批判なく順応するように何年間か強いて来たのであった。日本人が今日、当然もつべき一個人としての品位と威厳とを身につけていないことを外国に向って愧《は》じるならば、それは、現代日本の多数の人々を、明治以来真に人格的尊厳というものが、どういうものであるかをさえ知らさないように導いて来た体制を、今
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